下須田村(読み)しもすだむら

日本歴史地名大系 「下須田村」の解説

下須田村
しもすだむら

[現在地名]東村下須田

霞ヶ浦に近い平坦な低地にあり、桜川(野田奈川)を隔てて浮島うきしま(現桜川村)。古くは江間とよばれる水路縦横に通じ、「新編常陸国誌」は「コノ地ハ下総ノ上須田村ノツヅキニテ、古ハ利根川ヨリ連リタル芦原ニテ洲渚ノ地ナルヲ、後ニ墾開セシ所ト見ユ、コノ地中世東条庄ニ隷ス」と記す。江戸時代は天領で、元禄郷帳の村高は五二九石余、幕末の村高は六二三石余(各村旧高簿)。享和二年(一八〇二)二月一三日に九軒を焼失する大火があり、この時に作製された絵図(飯出隆氏蔵)によれば、名前の入った家一六軒、絵のみの家が七軒、計二三軒が描かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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