下馬瀬村
しもまぜむら
[現在地名]忠岡町馬瀬一―三丁目
忠岡村の東にある平野部の村で、松尾川を合せた牛滝川と槙尾川が村の北で合流。中世は宇多庄(中心は現泉大津市)に含まれたという(泉州志)。延宝七年(一六七九)の下馬瀬村検地帳(麻野家文書)によると古検高(慶長検地高と考えられる)五一石余、新検高は六八石余で反別四町八反余のうち田四町二反余。領主の変遷はほぼ忠岡村に同じと思われる。ただし延享四年(一七四七)以後は村全体が一橋領となり幕末に至る。なお武蔵岩槻藩領の時(元禄一〇年―正徳元年)にごくわずかではあるが新開高が村高に加えられた(同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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