不動堂跡(読み)ふどうどうあと

日本歴史地名大系 「不動堂跡」の解説

不動堂跡
ふどうどうあと

[現在地名]高野町高野山

女人によにん堂の南にあり、うちの不動とよばれた。現存しない。本尊不動明王は空海の作であったと伝える。保延六年(一一四〇)覚鑁が新義教学を提唱したことなどから山内で対立が生じ、覚鑁は衆徒に追われてこの堂に逃込み、不動の尊形に変身して不動二体が並び坐した。衆徒が両像を錐で突いたところ覚鑁の像は変化なく、本尊の不動からは血が出たという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報