一心院谷(読み)いつしんいんだに

日本歴史地名大系 「一心院谷」の解説

一心院谷
いつしんいんだに

壇上伽藍の北方、高野七口の一つ不動坂ふどうざか口からほぼ南東に下る一帯。東は五之室ごのむろ谷に続く。この地には明寂を中心に初期高野聖が集まったといわれ、谷名は行勝建立の一心院(現五坊寂静院)によるという。鎌倉時代の信堅院号帳には一心院・丈六堂がみえ、文明五年(一四七三)の諸院家帳には「五室道北鼻」に、不動堂・一心院・寂静院・文殊院・道阿弥堂・勢至堂・金光院がみえる。

「続風土記」によると、江戸時代後期には学侶方子院四・行人方子院一二・聖方子院四のほか不動堂二、女人によにん堂・両大明神社・金輪きんりん塔・訶利帝母祠などがあった。学侶方上通には五坊寂静院、同中通には庫蔵院、同下通には十輪院・阿光院、行人方上通には金光院・蓮花定院、同中下通には福蔵院・真蔵院・正法院・蓮定院・威徳院・真乗院・福生院・宝樹院・宝城院・華屋院、聖方には宝蔵院・金剛蔵院・西蓮院・妙音院、廃院には一心院・文殊院・勢至堂・金光院・道阿弥堂があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報