与一谷村
よいちだにむら
[現在地名]西伯町与一谷
鍋倉村の北西、法勝寺川支流北方川の上流、大木峠の南東麓の谷間に位置する。西は出雲国境へ五町(伯耆志)。与市谷とも書いた。弘化二年(一八四五)の田畑地続全図(西伯町誌)によれば耕地は鍋倉に通じる道沿いに南へ枝状に開かれ、北と東に溜池がある。拝領高は七四石余、本免は四ツ三分。藪役銀二匁五分が課され(藩史)、米子組士菅氏の給地があった(給人所付帳)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高八二石余、竈数一六。「伯耆志」では家数一六・人数七五、林一四町七反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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