日本歴史地名大系 「与杼神社」の解説 与杼神社よどじんじや 京都市:伏見区淀城下与杼神社[現在地名]伏見区淀本町もと伏見区水垂(みずたれ)町に鎮座していたが、明治三三年(一九〇〇)淀(よど)川改修工事に際して淀城跡北方の現在地に移転。祭神は豊玉姫(とよたまひめ)命・高皇産霊(たかみむすび)神・速秋津姫(はやあきつひめ)命の三柱。旧郷社。別名淀姫(よどひめ)社とも、また旧鎮座地の称をとり水垂(みずだれ)社とも大荒木(おおあらき)神社ともよばれている。社伝によれば、応和年中(九六一―九六四)千観内供が肥前国佐賀(さが)郡の河上(かわかみ)神を勧請したことに始まるとされ、「菟芸泥赴」にも「小橋の西二町計川を隔て有、鳥居に大荒木明神とあり、是は乙訓郡のうちなるべし、西鴨浮田森を大荒木といへば同神とおもへば千観僧正肥前国佐賀郡の河上淀姫大明神を勧請せり」と記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報