日本歴史地名大系 「与田山村」の解説 与田山村よだやまむら 香川県:大川郡白鳥町与田山村[現在地名]白鳥町与田山湊(みなと)川中流域と、その支流である兼弘(かねひろ)川・友森(とももり)川などが形成する狭い平地部に集落があり、北に虎丸(とらまる)山(三七三メートル)、南に讃岐山脈の峰々がある。村の大部分は山林。東は西山(にしやま)村。「和名抄」大内(おおち)郡与泰(よだ)郷の遺称地といわれ、正嘉二年(一二五八)七月一九日の小早川茂平譲状案(小早川家文書)によると、安芸国小早川氏が与田郷内地頭・公文・案主・惣検校・検断などの諸職を有していた。その後、与田郷は京都浄金剛院領大内庄の一部となる。応永六年(一三九九)から同九年にかけて大般若経六〇〇巻が書写され、当村若一王子(にやくいちおうじ)権現(与田神社)に奉納されているが、その奥書に「与田山若王寺」「与田山郷若王子」などとみえる。京都北野社一切経(大報恩寺蔵)奥書には「与田虚空蔵院」「与田郷神宮寺」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by