日本歴史地名大系 「大内郡」の解説
大内郡
おおちぐん
〔古代〕
天平一九年(七四七)二月一一日の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳(正倉院文書)の寺領庄園を記した個所に「大内郡一処」とみえる。「和名抄」刊本の訓は「於布知」、また「延喜式」民部省に「
〔中世〕
鎌倉時代後半には当郡はまるごと庄園と化し、皇室領大内庄となった。讃岐唯一の郡名庄である。同庄は後嵯峨院の御願寺京都
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天平一九年(七四七)二月一一日の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳(正倉院文書)の寺領庄園を記した個所に「大内郡一処」とみえる。「和名抄」刊本の訓は「於布知」、また「延喜式」民部省に「
鎌倉時代後半には当郡はまるごと庄園と化し、皇室領大内庄となった。讃岐唯一の郡名庄である。同庄は後嵯峨院の御願寺京都
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