与論城跡(読み)よろんぐすくあと

日本歴史地名大系 「与論城跡」の解説

与論城跡
よろんぐすくあと

[現在地名]与論町立長

グスク跡。南北に細長い台地と南側中腹を主とする。与論島の南東供利とうむい港や、沖縄島を見渡す隆起珊瑚礁を基層とし、標高九六メートルを最高地点とする。当城は琉球北山王ハニジ(怕尼芝)のとき三男オーシャン(王舅、沖永良部島の世之主の弟)が与論世之主となり、永楽三年(一四〇五)グラルマゴハチ(後蘭孫八)に命じて上城うわいぐすくの積石を取崩して築き始め、未完成ながら同一三年まで居城としたと伝える。この直前に与論島民らは沖縄島で座喜味ざきみ(現沖縄県読谷村)築城するために山田やまだ(現同恩納村)から積石を運搬するのに動員されたといい、それに伴う労働力不足のために当城の築城は未完に終わったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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