丙子胡乱(読み)へいしこらん(その他表記)Pyǒngja horan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「丙子胡乱」の意味・わかりやすい解説

丙子胡乱
へいしこらん
Pyǒngja horan

朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) の仁祖 14 (1636) 年 12月の清の朝鮮侵攻事件。東北方面で逐次勢力をたくわえていた女真の後金 (のちの清) は 1619年,明軍をサルフで破り (→サルフの戦い ) ,27年朝鮮に侵入した。これを丁卯胡乱というが,このとき朝鮮は後金と兄弟の約を結んで事なきを得た。ところが 36年,後金の太宗は国名を大清帝国と改め,同年末 10万の大軍を率いて漢城 (現ソウル) に迫った。国王の仁祖は江華島に逃れるまもなく,一時広州の南漢山城にこもったが,明軍の援助も得られず部下も和平論に傾いたので翌年1月城を出て清に投降した。このときの清の受降条件はきわめてきびしく,(1) 以後朝鮮は清に対して臣下となり (事大の礼を尽す) ,(2) 明の年号を奉ずることをやめ (清の正朔を奉ずる) ,(3) 人質として王子を出す,(4) 軍船,人員の提供,(5) 年貢,などを取決めた。朝鮮王朝としては壬辰・丁酉の倭乱 (→文禄・慶長の役 ) 以来の外圧であり,またその投降の条件は有史以来の屈辱的なものであった。

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世界大百科事典(旧版)内の丙子胡乱の言及

【丙子の乱】より

…1636年(李朝の仁祖14∥清の崇徳1)に起きた清の第2回朝鮮侵略。朝鮮では丙子胡乱という。清(後金)は1627年の第1回侵略(丁卯の乱)以後,朝鮮と兄弟関係を結び,対明戦の軍糧,兵船など多大な貢物を毎年徴収していた。…

※「丙子胡乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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