日本大百科全書(ニッポニカ) 「サルフの戦い」の意味・わかりやすい解説
サルフの戦い
さるふのたたかい
中国、撫順(ぶじゅん)の東方、渾河(こんが)南岸の山であるサルフSarhū(薩爾滸)で、1619年に清(しん)(当時は後金)の太祖ヌルハチと明(みん)軍の間で行われた決戦。この戦いを契機にヌルハチの勢力は一挙に拡大し、明清交代の原因の一つとなった。ヌルハチは18年に「七大恨」を掲げて明に宣戦布告し撫順を陥れたので、明朝ではヌルハチの拠城ホトアラ(興京)を討つべく、揚鎬(ようこう)を総大将とする10万の大軍を4路に分けて派兵した。ヌルハチの総力は1万強(6万という説もある)であったが、機動力を生かしたヌルハチの軍は、サルフの戦いなど八度に及ぶ戦いで各個撃破し、明軍に壊滅的打撃を与えた。この結果、ヌルハチの勢力は遼東(りょうとう)半島進出に及んで、清朝建国の第一歩を築いた。
[細谷良夫]