朝鮮半島の中部,京畿湾中の島。韓国の京畿道に属し,1995年より仁川広域市の一部となった。対岸の陸地との間を隔てる海峡の幅はわずか200~300mにすぎず,現在は橋によって結ばれ,国道とされている。面積293km2。高句麗時代には穴口郡,統一新羅の時代には海口郡とよばれた。高麗時代から首都防衛の第一関門や避難所として重視され,13世紀中葉にモンゴル軍が侵入してきたときには,ここを江都として《高麗大蔵経》の彫板を行い,モンゴルの調伏を祈った当時の国王高宗が28年間たてこもって抵抗した。李朝時代末には1866年のフランス艦隊,71年のアメリカ艦隊など列強の軍隊が京畿湾に侵入したが(洋擾(ようじよう)),72門の砲台をもつ江華島守備隊が,島の占領は許しながらも,首都ソウルの守りとしての役割はよく果たした。しかし,1875年の軍艦雲揚号への砲撃を口実とした日本の圧力に抗せず(江華島事件),76年朝鮮政府は日朝修好条規(江華条約)を結び,釜山ほか2港の開港に応じた。朝鮮戦争以後は北の朝鮮民主主義人民共和国に対する最前線の一画をなし,沿岸警備隊の監視下に置かれている。島全体が丘陵性の山地で覆われており平地が少ない。海岸線は切りたった崖が多く良港に恵まれない。住民の多くは畑作農業に従事し,特産物として朝鮮人参がある。また,ワングル(莞草)を材料とする伝統工芸が盛んである。人口は1980年に9万余であったが,年々減少する傾向にある。島内最高峰の摩尼山(468m)麓には韓国の名刹の一つである伝灯寺がある。また,高麗時代の銅鐘や李朝時代の砲台跡など歴史的遺跡が島内に散在し,ソウル近郊の観光地となっている。
執筆者:谷浦 孝雄
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韓国(大韓民国)、京畿(けいき/キョンギ)湾の漢江(かんこう/ハンガン)河口にある島。仁川(じんせん/インチョン)広域市に属し、近隣の諸島とともに江華郡をなす。面積293平方キロメートル。1995年に仁川広域市に編入されるまでは京畿道に属していた。島の中心は江華邑(ゆう)(町)。元来、金浦(きんぽ/キムポ)半島と陸続きであったが、地質時代を通じての長い沈降運動や塩河の侵食などにより本土から分離した。現在は塩河を挟んで向かい合う金浦と橋梁(きょうりょう)によって連結されている。本島は丘陵性山地が重畳して天険の要塞(ようさい)をなし、国家の戦乱時には王都の避乱地として大きな役割を担ってきた。また海からの外来侵略者に対する首都防御の拠点として李朝(りちょう)時代はソウルの四鎮(ちん)の一つであった。李朝末期の1866年にフランス艦隊、71年にアメリカ艦隊の攻撃を受け、75年には日本との間に江華島事件が起こった。平野は少ないが農業は盛んで、とくに朝鮮戦争後、チョウセンニンジンの栽培が活発である。家内工業による工芸品の花紋蓆(むしろ)(ござ)の名産地である。新羅(しらぎ)時代に創建された伝燈(でんとう)寺、檀君(だんくん)聖跡の摩尼山塹星壇(まにさんざんせいだん)など古跡・名勝地に富む。
[森 聖雨]
「カンファ(江華)島」のページをご覧ください。
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