コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

丁卯胡乱 ていぼうこらんChǒngmyo horan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

丁卯胡乱
ていぼうこらん
Chǒngmyo horan

朝鮮王朝 (李朝) の仁祖5 (1627) 年に起った清 (後金) 国の第1次朝鮮侵略。新興の清に対する和平派の光海君が斥和派のクーデターで廃位させられ,仁祖1 (23) 年に仁祖が即位すると,か島の東江鎮を根拠地にする明の毛文龍らの勢力と合体し,朝鮮の対清政策は硬化した。清の太宗は毛文龍らの明勢力を排除し,朝鮮との貿易による生活物資の確保をはかるため朝鮮を侵略した。清軍は大同江以北に軍をとどめ,江華島に難を避けた仁祖と和平を急ぎ,3ヵ月後に撤退した。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典内の丁卯胡乱の言及

【丙子の乱】より

…1636年(李朝の仁祖14∥清の崇徳1)に起きた清の第2回朝鮮侵略。朝鮮では丙子胡乱という。清(後金)は1627年の第1回侵略(丁卯の乱)以後,朝鮮と兄弟関係を結び,対明戦の軍糧,兵船など多大な貢物を毎年徴収していた。このため朝鮮では反清親明意識が高まり,32年,清が兄弟関係を君臣関係に変え,貢物を増加するよう要求したことを契機に,朝鮮国王仁祖は全土に宣戦教書を下した。これに対し清の太宗は36年12月,10万の軍隊で朝鮮を攻撃した。…

【李适】より

…朝鮮,李朝の武臣。字は白圭。1623年,西人派が武力で光海君を倒し,仁祖を擁立した際,平安道兵使兼副元帥であった李适は政変で大きな役割を果たした。しかし,その論功に不満をもち,翌24年,反乱を起こして首都漢城(現,ソウル)を占領,宣祖の第10子を国王に擁立した。1ヵ月後,李适は敗れて殺されるが,反乱軍の一部は後金に逃れて仁祖即位の不当を訴え,後金(のちの清)の朝鮮侵攻(丁卯(ていぼう)胡乱1627)の口実をつくることになった。…

※「丁卯胡乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

丁卯胡乱の関連キーワード朝鮮王朝丙子胡乱

今日のキーワード

所信表明演説

政府の長が施政に関する考え方を明らかにするために行う演説。日本の国会では、臨時国会や特別国会の冒頭に内閣総理大臣が衆議院および参議院の本会議場で行い、当面の問題を中心にその国会における内閣の方針を示す...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android