中之島上之鼻(読み)なかのしまうえのはな

日本歴史地名大系 「中之島上之鼻」の解説

中之島上之鼻
なかのしまうえのはな

[現在地名]北区中之島なかのしま一丁目

中之島の東端に形成された築地をいう。明和三年(一七六六)幕府は勘定吟味役川井久敬を派遣して市中諸河川の巡視をさせたのち、川筋浚渫と新地造築を行った。この頃中之島東端には備中成羽藩山崎家蔵屋敷があり、俗に山崎の鼻やまさきのはなといわれたが、それよりさらに東に出た中洲も築地を行い、尾張屋太忠が入札に応じ、同四年完成した。二八間の築地で、これを中之島上之鼻新築地と称した。町奉行所は新地を払下げる方式でその代銀を貸付けて利息を収めた。また新地は一役と九分役の諸役を免除され、請負人尾張屋には大坂三郷通用茶屋株一・同煮売屋株一、新地のみの所限湯屋株一・髪結床株一を許可した(大阪市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む