中之館・御館跡(読み)なかのたち・おたちあと

日本歴史地名大系 「中之館・御館跡」の解説

中之館・御館跡
なかのたち・おたちあと

[現在地名]平戸市鏡川町

志自岐しじき谷に築かれた近世の平戸藩主松浦氏の居館の跡。平戸城下の西手、諸寺院が並ぶ北にある。慶長四年(一五九九、同八年とも)初代平戸藩主松浦鎮信の時代に日之岳ひのたけ城が築かれたが、同一八年に同城は焼失、以後平戸藩では幕府の目を恐れたものか、長く築城を行うことなく、中之館に居を移し、さらに御館に移って藩政庁としたとされる。勝尾かつお城と館山たちやま(のちの御館)の中ほどに造営されたことから中之館と称されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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