中仙道村
なかせんどうむら
[現在地名]羽後町中仙道
北流する仙道川に沿い、西馬音内前郷村から矢島藩領杉之沢村(現由利郡鳥海村)に通ずる脇街道の中間に位置する。北は下仙道村、南は上仙道村、東は山越えに飯沢村と接する。
現小又の比高約六〇メートルの山地に仙道城跡があり、小野寺美作の居館跡と伝える。天正一八年(一五九〇)の西馬音内領小田原参陣役銭賦課帳(西垣文書)に「上洛ノ砌城内二十三人シテ百貫ノ役銭ノカヽリハ廿六〆(中略)飯沢六十五〆、上仙道同断、中仙道同断、下仙道同断」とみえ、小野寺氏に役銭を上納している。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に中仙道村四九五石とある。元禄一五年(一七〇二)の出羽国秋田領変地其外相改候目録(県立秋田図書館蔵)に上・中・下仙道村を仙道村と一括し「古御絵図ニ無高ニ而郷形御座候、今度相改申所ニ村居無御座候ニ付新御絵図ニ相除」とある。
中仙道村
なかせんどうむら
[現在地名]岡山市中仙道・今一丁目・同三―四丁目
今村の西にあり、西は西長瀬村、南は辰巳村、北の辻村との境を鴨方往来が通る。寛永備前国絵図に村名がみえ、高八一八石余。「備陽記」によると田畑五〇町三反余、家数四七・人数二六九。文化年間の「岡山藩領手鑑」では直高一千二二九石余、蔵入と家臣一〇名の給地。田高八五二石余・畑高五二石余、家数六五(本村二〇・新屋敷一六・中村一六・新田一一、ただし合計の数値は合わない)・人数三〇九。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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