中北目村(読み)なかきためむら

日本歴史地名大系 「中北目村」の解説

中北目村
なかきためむら

[現在地名]松山町中北目

上北目村の西にあり、北は相沢あいさわ川を挟んで山谷新田やまやしんでん(現平田町)。江戸初期には上北目村と一村で喜多目村とも書いた。寛永元年庄内高辻帳に中北目村がみえ、高三九七石余。天保一五年(一八四四)には免六ツ六分、家数三〇(「高辻并留」松山町資料館蔵)。相沢川では川漁を営む者が多く、上北目村・小見おみ村・下餅山しももちやま村とともに寛文三年(一六六三)川役銀一四八匁余を納めた(鶏肋編)用水松山藩成立以前に開削された田沢たざわ川を水源とするしも堰を用い、堰守は代々当村に住み堰守給二斗を受けた。文久三年(一八六三)の堰守は五左衛門で杖突も兼帯した(松山町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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