日本歴史地名大系 「中吉田」の解説
中吉田
なかよしだ
[現在地名]上田市大字芳田
吉田村のうちの南東部にあたり、上田城下よりの
戦国末期より江戸初期までは吉田村として一村であったと考えられるが(諏訪大社上社文書・仙石文書)、宝永三年(一七〇六)小県郡吉田村指出帳(上田藩村明細帳)には、中・下吉田村として、村高・村役人ほかの書上を両村別にしているので、この年以前より分村していたものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
吉田村のうちの南東部にあたり、上田城下よりの
戦国末期より江戸初期までは吉田村として一村であったと考えられるが(諏訪大社上社文書・仙石文書)、宝永三年(一七〇六)小県郡吉田村指出帳(上田藩村明細帳)には、中・下吉田村として、村高・村役人ほかの書上を両村別にしているので、この年以前より分村していたものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新