中家村
ちゆうかむら
羽根川中流の平地帯にある。東の上流域に池平村と当村枝村の原新田。西の下流には中家新田・新保村と続く。中世には当村から羽根川奥地までを羽川と称したとみられる。当村から下流は穀倉地帯が展開し、羽根川の水元を占める。標高二五〇メートルの位置に中家城跡がある。その南麓に羽根川、北麓に日付川が流れる。城主は当初発智氏であったとみられる。明応七年(一四九八)六月二日の長尾能景遵行状(発智文書)によると「羽川分」は発智六郎右衛門尉の知行地とされ、山神を祀る峰を境に月岡氏領があった。字崖下にほっちん塚の地名が残る。天正(一五七三―九二)頃には発智氏の家臣と思われる青倉氏が拠っていたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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