朝日日本歴史人物事典 「中山作三郎」の解説
中山作三郎
生年:天明5(1785)
江戸後期の阿蘭陀通詞。中山家第6代。名は武徳,字は知雄,通称得十郎のち作三郎。長崎の通詞の家に生まれ,稽古通詞,小通詞を経て天保1(1830)年大通詞に昇進。オランダ商館員から「きわめて勤勉で言葉にも熟達している」と評され,商館長ドゥーフが「最もすぐれた通詞を選んで」作り始めた『ドゥーフ・ハルマ』の編纂事業では,その中心的存在となった。この事業はドゥーフ帰国(1817)後も続けられ,同4年に語数約5万の蘭日辞典が完成,幕末まで写本で活用された。シーボルトの鳴滝塾開設や,シーボルト事件の処理にも尽力し,役人として有能なところをみせている。訳書に『魯西亜国史』がある。<参考文献>呉秀三『シーボルト先生』1・3巻,フィッセル『日本風俗備考』2巻,片桐一男『阿蘭陀通詞の研究』
(鳥井裕美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報