中山作三郎(読み)なかやま・さくさぶろう

朝日日本歴史人物事典 「中山作三郎」の解説

中山作三郎

没年:弘化1.8.12(1844.9.23)
生年天明5(1785)
江戸後期の阿蘭陀通詞。中山家第6代。名は武徳,字は知雄,通称得十郎のち作三郎。長崎の通詞の家に生まれ,稽古通詞,小通詞を経て天保1(1830)年大通詞に昇進オランダ商館員から「きわめて勤勉で言葉にも熟達している」と評され,商館長ドゥーフが「最もすぐれた通詞を選んで」作り始めた『ドゥーフ・ハルマ』の編纂事業では,その中心的存在となった。この事業はドゥーフ帰国(1817)後も続けられ,同4年に語数約5万の蘭日辞典が完成,幕末まで写本で活用された。シーボルトの鳴滝塾開設や,シーボルト事件の処理にも尽力し,役人として有能なところをみせている。訳書に『魯西亜国史』がある。<参考文献>呉秀三『シーボルト先生』1・3巻,フィッセル日本風俗備考』2巻,片桐一男『阿蘭陀通詞の研究

(鳥井裕美子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山作三郎」の解説

中山作三郎 なかやま-さくさぶろう

1785-1844 江戸時代後期のオランダ通詞
天明5年生まれ。文化13年父中山武成の死後,家をついで小通詞助役となる。同年和蘭(オランダ)辞書翻訳認方掛となり,蘭和辞典「ズーフ-ハルマ」の校訂にあたった。天保(てんぽう)元年大通詞。天保15年8月12日死去。60歳。肥前長崎出身。名は武徳(たけのり)。字(あざな)は知雄。通称は別に得十郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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