中島惣社(読み)なかじまそうしや

日本歴史地名大系 「中島惣社」の解説

中島惣社
なかじまそうしや

[現在地名]東淀川区東中島四丁目

宇賀御魂大神・大市比女神・受保大神を祀る。旧郷社。社伝によれば、創建年代は不詳だが、孝徳天皇長柄豊碕ながらとよさき(跡地は現東区)遷都のとき、五穀豊饒を当社に祈願、神領を寄せたという。古くは稲荷社と称していたと伝えるが、中島惣社の名は、嘉吉二年(一四四二)四月二九日の民部丞景安敷地渡進状案(藻井家文書)にみえ、同渡進状案によると、社領松原まつばら内の一町四方の地などを崇禅そうぜん寺の敷地として進上、その替地として「仏生院又三郎名」を寄進されたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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