中川一郎(読み)ナカガワ イチロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「中川一郎」の解説

中川 一郎
ナカガワ イチロウ


肩書
衆院議員(自民党),元・農水相,元・科学技術庁長官

生年月日
大正14年3月9日

出生地
北海道広尾郡広尾町

学歴
九州帝国大学農学部〔昭和22年〕卒

経歴
北海道庁を経て、昭和22年北海道開発庁に。大野伴睦長官の秘書官を務めたことがきっかけで、38年北海道5区から自民党所属で衆院議員に当選、以来55年の総選挙まで連続7回当選。この間、52年福田内閣の農相(のちの農水省)、55年鈴木善幸内閣の科学技術庁長官を務めた。また、48年に渡辺美智雄、中尾栄一、石原慎太郎らとタカ派の集団・青嵐会を結成、その代表人を務め、田中内閣打倒に動き、56年5月からは同会を衣替えした自由革新同友会の代表に。改憲問題、閣僚靖国参拝、日中関係などについて右寄りの発言を繰り返し、若手タカ派の中心人物として57年鈴木首相辞任の時には総裁選に出馬するなど党内ニューリーダーの一人だった。“北海のヒグマ”と称され、野心溢れる政治家だったが、58年首つり自殺した。

没年月日
昭和58年1月9日

家族
長男=中川 昭一(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「中川一郎」の解説

中川 一郎
ナカガワ イチロウ

昭和期の政治家 衆院議員(自民党);元・農水相;元・科学技術庁長官。



生年
大正14(1925)年3月9日

没年
昭和58(1983)年1月9日

出生地
北海道広尾郡広尾町

学歴〔年〕
九州帝国大学農学部〔昭和22年〕卒

経歴
北海道庁を経て、昭和22年北海道開発庁に。大野伴睦長官の秘書官を務めたことがきっかけで、38年北海道5区から自民党所属で衆院議員に当選、以来55年の総選挙まで連続7回当選。この間、52年福田内閣の農相(のちの農水省)、55年鈴木善幸内閣の科学技術庁長官を務めた。また、48年に渡辺美智雄、中尾栄一、石原慎太郎らとタカ派の集団・青嵐会を結成、その代表人を務め、田中内閣打倒に動き、56年5月からは同会を衣替えした自由革新同友会の代表に。改憲問題、閣僚の靖国参拝、日中関係などについて右寄りの発言を繰り返し、若手タカ派の中心人物として57年鈴木首相辞任の時には総裁選に出馬するなど党内ニューリーダーの一人だった。“北海のヒグマ”と称され、野心溢れる政治家だったが、58年首つり自殺した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川一郎」の解説

中川一郎 なかがわ-いちろう

1925-1983 昭和時代後期の政治家。
大正14年3月9日生まれ。北海道開発庁につとめ,のち大野伴睦(ばんぼく)の秘書となる。昭和38年衆議院議員(当選7回,自民党)。48年青嵐(せいらん)会を,54年自由革新同友会を結成。農水相,科学技術庁長官を歴任。57年自民党総裁予備選に敗れる。昭和58年1月9日自殺した。57歳。北海道出身。九州帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中川一郎」の解説

中川 一郎 (なかがわ いちろう)

生年月日:1925年3月9日
昭和時代の政治家。衆議院議員;農林大臣
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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