中川幸庵(読み)ナカガワ コウアン

20世紀日本人名事典 「中川幸庵」の解説

中川 幸庵
ナカガワ コウアン

明治〜昭和期の寄生虫学者



生年
明治7年(1874年)

没年
昭和34(1959)年10月31日

出生地
富山県

学歴〔年〕
第四高等学校医学部医学科〔明治27年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
桂田賞〔昭和33年〕,保健文化賞〔昭和34年〕

経歴
明治28年石川県金沢病院、30年内務省永楽病院、37年台湾総督府立台南医院、42年花蓮港病院長。大正元年新竹病院長、7年台中医院院長、15年金沢市金城病院内科医長。カニが肺吸虫の第2中間宿主であることを発見したのは新竹病院長時代で、学界を驚かせた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川幸庵」の解説

中川幸庵 なかがわ-こうあん

1874-1959 明治-昭和時代医師,寄生虫学者。
明治7年7月13日生まれ。台湾総督府の病院に20年余にわたり勤務。新竹医院長をつとめていた大正3年肺吸虫の第2中間宿主が淡水産のカニであることを発見,9年には肥大吸虫の中間宿主や生活史をあきらかにした。昭和34年10月31日死去。85歳。富山県出身。第四高等中学校(現金沢大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中川幸庵」の解説

中川 幸庵 (なかがわ こうあん)

生年月日:1874年7月13日
明治時代-昭和時代の医師;寄生虫学者
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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