中野台村(読み)なかのだいむら

日本歴史地名大系 「中野台村」の解説

中野台村
なかのだいむら

[現在地名]野田市中野台・中野台鹿島町なかのだいかしまちよう

野田町の西、江戸川左岸に位置する。元亨三年(一三二三)八月二九日の称恵譲状(藤野文書)相馬そうま御厨内として「中ノ代」とみえるのは当地にあたるか。同所は島津氏被官称恵から息女虎御前に譲られ、その死後は平盛資が知行することになっていた。地内の報恩ほうおん寺には文明一二年(一四八〇)銘ほか多くの武蔵型板碑がある。貞享五年(一六八八)の田畑石高帳(渡辺家文書)には中之台村とみえ、古高三九五石余・五五町一反余、新高五二〇石余・八二町一反余。


中野台村
なかのだいむら

[現在地名]長柄町中野台

山之郷やまのごう村の東に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に中ノ台村とみえ、高六五石。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数七、旗本山本領。幕末も同様。文政九年(一八二六)には船木ふなき村などと用水争論を起こしているが、相手方が「高六拾三石、家数七軒、小村と見掠め候て」訴訟に及んだと訴えている(上野区有文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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