朝日日本歴史人物事典 「中野能成」の解説
中野能成
鎌倉初期の武士。中野五郎と称した。法名妙蓮。左馬允。信濃国(長野県)中野西条・志久見郷地頭。文治5(1189)年奥州合戦に従い,源頼朝の2度の上洛にも供奉。その後,源頼家の近習。『吾妻鏡』では建仁3(1203)年比企能員滅亡時に与党として所領収公・遠流に処せられたとするが,「市河文書」によるとほとんど同時に所領安堵されており,北条氏とのつながりも推測されている。
(西村隆)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報