中門田村(読み)なかもんでむら

日本歴史地名大系 「中門田村」の解説

中門田村
なかもんでむら

[現在地名]高野町中門田

恵蘇えそ郡北部の高野山たかのやま(現神之瀬川)南岸に位置し、耕地は同川の南岸および、その支流奥門田川の下流域に分布する。北は高野山川を挟んで岡大内おかおおち村、東はみなみ村、西は下門田しもんで村。村域には城山じようやま古墳薬王寺やこうじ古墳群(一―二号)がある。中世にはじび多賀たか村に属した。地地頭山内氏の庶子家多賀山氏が新市しんいち村の蔀山しとみやま城におり、中門田という地名も地頭の直轄地門田に由来すると思われるが、詳細は不明。

元和五年(一六一九)の備後国知行帳では「高ノ山村」に含まれ、「芸藩通志」によると中門田村は三八町二畝一八歩、二一八・七四三石。当村でも砂鉄採取が行われ、享保年間(一七一六―三六)には鉄穴が二ヵ所あり(「広島県史」民俗編)、薬王寺谷にはその痕跡がよく残る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報