串作村(読み)くしつくりむら

日本歴史地名大系 「串作村」の解説

串作村
くしつくりむら

[現在地名]一宮市萩原はぎわら串作くしつくり

美濃路の街道に沿い、萩原宿の東、たき村の北に位置する。「尾張志」は「和名抄に中島郡石作以之豆久利とあるをここなるよし府志に記し、天野信景もしかいひつれど、諾ひがたし、石作・櫛作ともに百工のうちなれと、其職を異にすれば、まがふべきよしなし、ここはもとより串作にて、康正二年造内裏段銭并国役引付に「八百五十文 進士小二郎殿尾張国中嶋郡内櫛作河宝段銭」としるせるがごとし、河宝は河室の誤字にて、今当村の内に河室かうむろといふ地ある処なり」と記す。また正瑞しようずい寺蔵阿弥陀如来絵像裏書に「明応六年六月十六(日) 苅安賀聖徳寺門徒 尾州中嶋郡串作郷北方 願主釈正了」とある。

串作村
くしつくりむら

[現在地名]加須市串作

北はあいの川を境とし、南東阿良川あらかわ村。羽生はにゆう領に所属(風土記稿)。田園簿では田高一六四石余・畑高四三七石余、ほかに野銭永三二文があり、川越藩領。元禄七年(一六九四)には幕府領で高七一六石余(「御検地之節日記」東京都河井家文書)元禄郷帳では高五三七石余。旗本深尾・藤方・戸田の三給(国立史料館本元禄郷帳)。この三家の相給で幕末まで続いたとみられる(改革組合取調書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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