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天野信景 あまの さだかげ

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美術人名辞典の解説

天野信景

江戸中期の国学者、名古屋藩士。通称は治部・残翁、字は子顕、剃髪して信阿弥、白華翁。渡会氏に師事、国典に通ずる。享保18年(1733)歿、71才。

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デジタル大辞泉の解説

あまの‐さだかげ【天野信景】

[1663~1733]江戸中期の国学者。尾張藩士。随筆に「塩尻」がある。

出典|小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

天野信景 あまの-さだかげ

1661/63-1733 江戸時代前期-中期の国学者。
寛文元/3年9月25日生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士。儒学,国学,仏教などに通じ,「尾張風土記」の編集に参加。正徳(しょうとく)5年に鉄砲頭となる。随筆「塩尻」が有名。享保(きょうほう)18年9月8日死去。71/73歳。字(あざな)は子顕。通称は権三郎,源蔵,治部。号は残翁,白華。法名は信阿弥。著作はほかに「神器授受伝」「神宮問集記」など。
【格言など】燃えつづくほのほのひまを住家にてやすからぬ身と知るやしらずや(江戸の火災による荒廃を詠んで。「塩尻拾遺」)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

天野信景

没年:享保18.9.8(1733.10.15)
生年:寛文3.9.25(1663.10.25)
江戸中期の国学者。名古屋(尾張)藩士。父信幸の没後貞享1(1684)年に寄合に列し,正徳5(1715)年鉄砲頭昇進を経て,享保15(1730)年,68歳で致仕。出口延佳,吉見幸和らに師事。元禄11(1698)年に藩主徳川綱誠の命を受けて『尾張風土記』編纂に加わる。閑職を幸いに,尾張の人倫風土や神祇,古典全般にわたる著述に生涯をかけ,夥しい編著をものした。その代表は,35年を費やしまとめた『塩尻』(170巻余,1733年脱稿,江戸期には未刊)である。量質ともに江戸期随筆の横綱級というべく,和漢古典からの抄出や見聞を「閑暇遺忘に備ふべ」く列記したままと自らは述べるが,その多岐にわたる実証的考察は,谷川士清をはじめ,後続の国学者に少なからぬ示唆を与えた。<著作>『塩尻』(日本随筆大成新版3期13~16巻)

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

あまのさだかげ【天野信景】

1663‐1733(寛文3‐享保18)
江戸中期の和学者。字は子顕,通称は治部,信阿弥陀仏,白華翁と号す。尾張に生まれ,尾張徳川家の譜代の家臣。御先手鉄砲頭を命ぜられる。文武を兼備し,風流洒落にして博学多識,詩歌に心をよせる。1723年任を辞し,のち隠居剃髪。《尾張人物志》ほか著述に富み,随筆《塩尻》100巻はもと1000巻近くあったといわれる。学統を継ぐ者に河村秀穎河村秀根山本格安がいる。【宗政 五十緒】

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大辞林 第三版の解説

あまのさだかげ【天野信景】

1663~1733) 江戸中期の国学者。尾張藩士。随筆「塩尻しおじり

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

天野信景
あまのさだかげ

[生]寛文1(1661)/寛文3(1663).9.25. 尾張
[没]享保18(1733).9.8.
江戸時代中期の国学者。門下に河村秀根が出た。尾張徳川家に仕えた。著書『塩尻』。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典内の天野信景の言及

【塩尻】より

…江戸中期の随筆。天野信景(あまのさだかげ)著。現在通行本は門人,紀方旧(堀田六林)が考訂した百巻本。…

※「天野信景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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