丹下ウメ(読み)タンゲ ウメ

20世紀日本人名事典 「丹下ウメ」の解説

丹下 ウメ
タンゲ ウメ

大正・昭和期の化学者



生年
明治12(1879)年3月

没年
昭和30(1955)年1月29日

出身地
鹿児島県鹿児島市

別名
別名=丹下 梅子(タンゲ ウメコ)

学歴〔年〕
日本女子大学〔明治37年〕卒,東北帝国大学理科大学化学科〔大正6年〕卒

学位〔年〕
Ph.D.(ジョンズ・ホプキンズ大学)〔昭和2年〕,農学博士〔昭和15年〕「ビタミンB2複合体の研究」

経歴
3歳の時事故で右目失明。県立尋常師範学校卒業後、小学校に奉職。明治37年日本女子大学第1回卒業生となる。大正2年女性門戸を開いたばかりの東北帝大に入学真島利行の指導で有機化学を研究。10年渡米し、コロンビア大学で栄養化学を学ぶ。昭和4年帰国し、5年理化学研究所の鈴木梅太郎研究室に嘱託として入り、また5〜16年日本女子大教授もつとめた。ネズミ飼育の名人といわれた日本の化学分野で初の女性学者。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹下ウメ」の解説

丹下ウメ たんげ-ウメ

1879-1955 大正-昭和時代の化学者。
明治12年3月生まれ。日本女子大第1回卒業生。大正2年黒田チカらとともに女性ではじめて東北帝大に入学,真島利行に師事した。卒業後,アメリカで栄養化学をまなぶ。昭和5年日本女子大教授。理化学研究所鈴木梅太郎研究室嘱託。昭和30年1月29日死去。75歳。鹿児島県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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