有機化学者。明治7年11月13日医者の子として京都に生まれる。2歳で父に死別、14歳のとき上京、第一高等学校、東京大学化学科卒業(1899)。同大学助教授(1903)となり、1907年(明治40)より1911年までキール大学のハリエスCarl Dietrich Harries(1866―1923)、チューリヒ工科大学のウィルシュテッター、ロンドンのデービー・ファラデー研究所のデュワーのもとに学んだ。帰国後新設の東北帝国大学教授(1911)、大阪帝国大学教授(1932)となり、理学部長、同大学産業科学研究所長、同大学総長を歴任、1946年(昭和21)に退官。その間、理化学研究所研究員など多くを兼務、後継者を養成し、日本の天然物化学の発展に貢献した。おもな研究は、1907年以来行われた漆の研究であり、主成分ウルシオールの構造決定および合成による確認(1917)を行った。これにより日本学士院賞(1917)受賞、また『日本化学総覧』の刊行に尽くした。1949年文化勲章受章。昭和37年8月19日没。
[岩田敦子]
化学者。開業医真島利民(としたみ)の長男として京都に生まれる。中学時代に上京し,第一高等中学校,東京帝国大学理科大学化学科を卒業。同科助手を経て,1903年助教授となる。08-10年にかけて海外に留学,キールのハリエスC.D.Haries,チューリヒのウィルシュテッターR.M.Willstätterの下で有機化学を学んで11年に帰国,新設の東北帝国大学理科大学化学科教授,26年には理学部長となる。
最初,漆の研究を手がけ,《漆汁主成分たる所謂漆酸の研究報告》(第1回,1907)を発表。海外留学中も,テルピネンの構造や漆酸の主成分ウルシオールの減圧蒸留,ウルシオールのオゾンによる分解酸化,アニリンの酸化などの研究をつづけ,1915年桜井賞を受ける。さらにヒドロウルシオールの構造決定と合成に成功し,17年帝国学士院賞を受け,26年には学士院会員となる。また1915年ころより植物色素(紫根色素)ならびに合成染料,トリカブトなどの研究を行い,それを通して多数の化学者を養成した。29年東京工業大学の創設にあたり染料化学科教授を兼任。また同じころ北海道帝国大学理学部および大阪帝国大学理学部の創立委員長を歴任し,両大学の理学部長をも兼任。43年大阪帝国大学総長。日本の化学研究,教育の条件整備にもつとめ,自費で《日本化学総覧》(全7冊)を刊行した。49年文化勲章受章。
執筆者:道家 達将
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治〜昭和期の化学者 大阪大学総長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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