真島利行(読み)マジマリコウ

デジタル大辞泉 「真島利行」の意味・読み・例文・類語

まじま‐りこう〔‐リカウ〕【真島利行】

[1874~1962]化学者。京都の生まれ。東北大教授・阪大総長。のほか紫根烏頭うずなどの成分構造を究明文化勲章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「真島利行」の意味・わかりやすい解説

真島利行(まじまりこう)
まじまりこう
(1874―1962)

有機化学者。明治7年11月13日医者の子として京都に生まれる。2歳で父に死別、14歳のとき上京、第一高等学校、東京大学化学科卒業(1899)。同大学助教授(1903)となり、1907年(明治40)より1911年までキール大学ハリエスCarl Dietrich Harries(1866―1923)、チューリヒ工科大学のウィルシュテッターロンドンデービー・ファラデー研究所のデュワーのもとに学んだ。帰国後新設の東北帝国大学教授(1911)、大阪帝国大学教授(1932)となり、理学部長、同大学産業科学研究所長、同大学総長を歴任、1946年(昭和21)に退官。その間、理化学研究所研究員など多くを兼務、後継者を養成し、日本天然物化学の発展に貢献した。おもな研究は、1907年以来行われた漆の研究であり、主成分ウルシオールの構造決定および合成による確認(1917)を行った。これにより日本学士院賞(1917)受賞、また『日本化学総覧』の刊行に尽くした。1949年文化勲章受章。昭和37年8月19日没。

[岩田敦子]


真島利行(まじまとしゆき)
まじまとしゆき

真島利行

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改訂新版 世界大百科事典 「真島利行」の意味・わかりやすい解説

真島利行 (まじまりこう)
生没年:1874-1962(明治7-昭和37)

化学者。開業医真島利民(としたみ)の長男として京都に生まれる。中学時代に上京し,第一高等中学校,東京帝国大学理科大学化学科を卒業。同科助手を経て,1903年助教授となる。08-10年にかけて海外に留学,キールのハリエスC.D.Haries,チューリヒのウィルシュテッターR.M.Willstätterの下で有機化学を学んで11年に帰国,新設の東北帝国大学理科大学化学科教授,26年には理学部長となる。

 最初,漆の研究を手がけ,《漆汁主成分たる所謂漆酸の研究報告》(第1回,1907)を発表。海外留学中も,テルピネンの構造や漆酸の主成分ウルシオールの減圧蒸留,ウルシオールのオゾンによる分解酸化,アニリンの酸化などの研究をつづけ,1915年桜井賞を受ける。さらにヒドロウルシオールの構造決定と合成に成功し,17年帝国学士院賞を受け,26年には学士院会員となる。また1915年ころより植物色素(紫根色素)ならびに合成染料,トリカブトなどの研究を行い,それを通して多数の化学者を養成した。29年東京工業大学の創設にあたり染料化学科教授を兼任。また同じころ北海道帝国大学理学部および大阪帝国大学理学部の創立委員長を歴任し,両大学の理学部長をも兼任。43年大阪帝国大学総長。日本の化学研究,教育の条件整備にもつとめ,自費で《日本化学総覧》(全7冊)を刊行した。49年文化勲章受章。
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20世紀日本人名事典 「真島利行」の解説

真島 利行
マジマ リコウ

明治〜昭和期の化学者 大阪大学総長。



生年
明治7年11月13日(1874年)

没年
昭和37(1962)年8月19日

出生地
京都市

学歴〔年〕
東京帝大理科大学化学科〔明治32年〕卒

学位〔年〕
理学博士

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞〔大正6年〕,文化勲章〔昭和24年〕

経歴
東大を出て母校の助教授となり、分析化学を担当、東洋特産品であるウルシの研究を始める。明治41年から欧州に留学し、帰国後の44年、新設の東北大学の教授となってからウルシの成分、ウルシオールの構造決定と合成に成功したほか植物色素、合成染料、アルカロイドなどを研究、その教室は有機化学の道場と称され、小竹無二雄、赤堀四郎、野副鉄男ら有機化学の俊英を輩出した。昭和6年には東北大物理学教授の長岡半太郎とともに大阪大理学部の創立に尽力、18年には同大学の総長となる。また日本の化学文献の集大成を思い立って日本化学研究会を設立、昭和2年から、明治以来の化学文献を集めた「日本化学総覧」刊行の大事業を成し遂げた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「真島利行」の意味・わかりやすい解説

真島利行
まじまりこう

[生]1874.11.13. 京都
[没]1962.8.19. 宝塚
有機化学者。東京帝国大学理科大学化学科卒業 (1899) 。キール大学,チューリヒのスイス連邦工科大学,ロンドンの王立研究所付属のデービー=ファラデー研究所に留学。東北帝国大学教授 (1911) ,理化学研究所主任研究員。漆の主成分,トリカブト属アルカロイド,インドール誘導体,紫根の成分その他の天然有機化合物の構造研究,感光色素,染料その他の合成研究,『日本化学総覧』の編集と刊行などを進めた。北海道,大阪両大学理学部長,東京工業大学染料化学科教授として,それぞれの創設と運営に貢献。大阪大学学長 (43) 。 1917年「漆の主成分に関する研究」で帝国学士院賞受賞。 49年文化勲章受章。帝国学士院会員 (26) ,ドイツ国立学士院会員 (36) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真島利行」の解説

真島利行 まじま-りこう

1874-1962 明治-昭和時代の有機化学者。
明治7年11月13日生まれ。44年東北帝大教授となり,理化学研究所主任研究員,東京工業大,北海道帝大の教授をかねた。昭和7年大阪帝大教授,18年総長。「漆の主成分に関する研究」で大正6年学士院賞。昭和24年文化勲章。「日本化学総覧」の刊行につくした。昭和37年8月19日死去。87歳。京都出身。東京帝大卒。

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百科事典マイペディア 「真島利行」の意味・わかりやすい解説

真島利行【まじまりこう】

有機化学者。東大卒。1907年ヨーロッパに留学し,ハリエス,ウィルシュテッターに学ぶ。1911年帰国と同時に東北大教授。のち北大理学部長,阪大理学部長,同総長などを歴任。漆の主成分ウルシオールの構造決定ほか多くの天然物の有機化学的研究を行い,日本の有機化学の開拓者としての功績を残した。1949年文化勲章。

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367日誕生日大事典 「真島利行」の解説

真島 利行 (まじま りこう)

生年月日:1874年11月13日
明治時代-昭和時代の有機化学者
1962年没

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