丹後片原町
たんごかたはらちよう
[現在地名]鳥取市相生町一―三丁目・寿町
材木町から出合橋を渡り、袋川(旧袋川)上流方向土手外に沿う町。南西は元鋳物師町。川を隔てて武家屋敷町玄好町ならびに町人地下横町を望む。向丹後町・外丹後町・丹後町片原ともいわれる。元和五年(一六一九)城下町拡張に伴う町割のとき、町人地四〇町のうち下構二〇町の一町として起立された。町名は、丹後口筋の材木町を丹後町あるいは内丹後町といったように、川外の町にも丹後の名が使用されたものであるが、丹後の名の由来についての確かな伝承は残されていない。寛永一一年(一六三四)の竈数五一(因幡志)。安永七年(一七七八)の家数一〇一、表口間数合せて一九六間余、町役負担九四人余、賦課比率の等級は下に定められる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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