日本歴史地名大系 「丹生川下村」の解説 丹生川下村にゆうがわしもむら 三重県:員弁郡大安町丹生川下村[現在地名]大安町丹生川久下(にゆうがわひさか)片樋(かたひ)村の北西方、石榑東(いしぐれひがし)村の北にあり、当村の北側を東流する青(あお)川が当村の北東で員弁川に合流する。丹生川の名は、天武天皇二年奈良大安寺に施入された「宿野原伍佰町」の四至のうち「北丹生河」(「大安寺伽藍縁起并流記資財帳」奈良市正暦寺蔵)にみえ、この「丹生河」は青川に比定されている。貞和二年(一三四六)に内宮領としての「丹生河御厨」(鴨神社文書)の名を確認できる。また、永禄(一五五八―七〇)頃に「丹生川太郎兵衛」が近江国四本商人から伊勢国にいる四本商人配下の足子商人の名を注進するように依頼され、「丹生川にてハ 又治郎・同孫兵衛・彦六」が住むほか、一〇ヵ所に分布していると答えている(「丹生川太郎兵衛書状」今堀日吉神社文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by