20世紀日本人名事典 「丹阿弥岩吉」の解説 丹阿弥 岩吉タンアミ イワキチ 大正・昭和期の日本画家 生年明治34(1901)年6月9日 没年平成4(1992)年11月24日 出生地東京・両国 経歴大正6年横山大観に書生として入門。8年日本美術院展に「牡丹」が入選、10年院友。12年独立。昭和11年落合朗風の明朗美術連盟同人となったが、12年朗風が亡くなると脱退、新国画協会を設立。13年同会を解散し、以後無所属の画家として個展のみで制作発表を行った。61年に病で倒れるまで生涯43回の個展を開いた。平成14年ゆかりの地である兵庫県氷上町で二女で銅版画家の丹波子との親子展が開かれた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹阿弥岩吉」の解説 丹阿弥岩吉 たんあみ-いわきち 1901-1992 大正-平成時代の日本画家。明治34年6月9日生まれ。丹阿弥谷津子の父。大正6年から横山大観の書生をつとめる。8年日本美術院展で「牡丹」が初入選し,10年院友。のち落合朗風の明朗美術連盟などに属するが,昭和13年以後は無所属で制作活動をつづけ,61年までに43回の個展をひらいた。平成4年11月24日死去。91歳。東京出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by