久々宇村(読み)くぐうむら

日本歴史地名大系 「久々宇村」の解説

久々宇村
くぐうむら

[現在地名]笠懸村久宮くぐう

大間々おおまま扇状地の中ほどにあり、西は桃頭ももがしら村、東は阿左あざ村、南は本町ほんまち(現藪塚本町)。村央を銅山あかがね街道が南北に走る。寛文年間(一六六一―七三)の笠懸野開発により成立した新田村。村名は武蔵本庄ほんじよう(現埼玉県本庄市)利根川沿いにあった久々宇村の村民が度重なる水害で移住してきたことによると伝えられる。寛文一一年の岡上開拓絵図(片山家蔵)に「久宮村」とみえる。元禄一〇年(一六九七)の笠懸野新田絵図(同家蔵)には久宮新田とみえ、銅山街道沿い両側に家一三軒が描かれる。元禄郷帳には「久々村」とあり幕府領。安政五年(一八五八)旗本岡部領(「反別名寄本途帳」石原文書)、慶応三年(一八六七)前橋藩領となる。


久々宇村
くぐうむら

[現在地名]本庄市久々宇

利根川南岸の沖積低地の自然堤防上に位置し、東から南は仁手につて村および本庄宿。北は利根川を隔てて上仁手村。寛永年間(一六二四―四四)以前は上野国に属していたが、からす川の変流によって武蔵国の所属となったとされる(上野国志)。永禄七年(一五六四)五月一七日の鎌原宮内少輔に宛てた武田信玄書状写(鎌原系図)に、武田方によって「本庄、久々宇迄放火」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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