日本歴史地名大系 「久井原村」の解説 久井原村ひさいばるむら 熊本県:玉名郡菊水町久井原村[現在地名]菊水町久井原東境を菊池川が南流し、南は長小田(ながおだ)村、北は江栗(えぐり)村と肥猪(こえい)村(現南関町)、西は下坂下(しもさかした)村(同上)と接する。正平一七年(一三六二)八月二二日の沙弥某寄進状(広福寺文書)に「玉名東郷内久井原村」がみえ、菊池武澄の遺命によって広福(こうふく)寺(現玉名市)開山の大智に寄進され、以後中世を通じて同寺領となっている。翌一八年一月二〇日の玉名東郷久井原四至境注文案(同文書)には東の「かまと」、西の「こゑい」、南の「うちた」などがみえることから、前掲寄進状の「久井原村」の村域は近世の村域とかなり近いものであったと推定される。正平二一年一二月九日には大智から禅古房に譲られる(「大智譲状」同文書)。南北朝期には半済がなされたが、のちに半済分は同寺に返付されている(年未詳二月二九日「今川仲秋書状案」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by