日本大百科全書(ニッポニカ) 「久保田(佐賀県)」の意味・わかりやすい解説
久保田(佐賀県)
くぼた
佐賀県中南部、佐賀郡にあった旧町名(久保田町(ちょう))。現在は佐賀市の南西部を占める地域。有明(ありあけ)海奥部に臨み、嘉瀬(かせ)川が地域の東端を流れる。旧久保田町は1967年(昭和42)町制施行。2007年(平成19)川副(かわそえ)、東与賀(ひがしよか)の2町とともに佐賀市に編入。北端のJR久保田駅は長崎本線と唐津線(からつせん)の分岐点で、小城(おぎ)市三日月(みかづき)町域にまたがる。国道は207号と444号が北と南を走る。久保田の名称は戦国時代にみえる窪田(くぼた)などの地名に由来。山のない低地で、米作やノリ養殖などが行われる。近年はイチゴやトマトなどの施設園芸も盛ん。地域のほぼ南半は中世以降の干拓地。北部の八筋堀(やすじぼり)などの堀割は、かつては半切(はんぎり)(浅いたらい状の桶(おけ))に乗ってのヒシの実とり、堀干しフナとりなど、秋の代表的風物詩を繰り広げたが、いまや圃場(ほじょう)整備事業で姿を一変した。近世、久保田邑(ゆう)は佐賀藩鍋島(なべしま)家の親類村田家の知行(ちぎょう)地で、その邑学思斉(しせい)館の思斉の名は今日も小・中学校名として残る。久保田駅近くには藁(わら)加工に出発した板紙工場がある。伝統芸能の面浮立(めんぶりゅう)を伝承。
[川崎 茂]
『『久保田町史』(1971・久保田町)』▽『『久保田町史』上・下巻(2002・久保田町)』