朝日日本歴史人物事典 「久坂玄機」の解説
久坂玄機
生年:文政3(1820)
江戸後期の蘭学者。長州(萩)藩医久坂良迪の長男。名は真又静,天籟と号した。萩で儒学,蘭学を学び,弘化4(1847)年6月から嘉永1(1848)年まで大坂の緒方洪庵に蘭学を学んだ。大坂遊学中に蘭書『ヘロトン』を翻訳して『演砲法律』と名づけた。伊東玄朴に江戸に出ることを勧められたが,辞退して萩に帰り,藩の医学館の都講役(講師)となった。嘉永2年9月藩内に牛痘接種を実施することとなり,赤川玄悦,青木周弼らと引痘掛を命ぜられ,『治痘新局』を訳述。翌3年6月医学館が好生館と改称され,都講兼御書物方となった。尊王の志があったことから僧の月性とも親交があり,海外の事情にも明るく,藩の実力者村田清風からしばしばその意見を聞かれたという。詩作に秀で,『久坂天籟詩文稿』を残している。吉田松陰の妹婿久坂玄瑞は実弟。<参考文献>田中助一『防長医学史』
(田中助一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報