久山村(読み)くやまむら

日本歴史地名大系 「久山村」の解説

久山村
くやまむら

[現在地名]諫早市久山町・久山台くやまだい津久葉町つくばまち若葉町わかばちよう青葉台あおばだい

貝津かいづ村の西に位置し、北部は大村湾に臨む。湾岸しろ山があり、あか島の付近では塩焼が行われていた。南西井樋いび岳がある。長崎路は久山茶屋を経て井樋ノ尾峠に向かう。近世は諫早郷に属し、一時期を除いて肥前佐賀藩親類同格の諫早家領。慶長国絵図に「津水ノ内 久山」とみえ、正保国絵図では久山村として高一五〇石余。元禄国絵図では高一五五石余。寛延三年(一七五〇)より諫早茂行の不調法で上知されて佐賀本藩領となった一四ヵ村の一つで、同年の本地分は田二四町一反余・畦四反余で地米一〇四石余、ほかに山林二一町三反余、銀一四一匁余、畑六町余・茶二畝余で地米八石余、また新地分は田四町四反余・畑四町五反余・茶二畝余・山林一町四反余で地米一一石余(諫早日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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