日本歴史地名大系 「久巌寺」の解説 久巌寺きゆうがんじ 熊本県:八代市八代城下石原丁久巌寺[現在地名]八代市通町聖愛幼稚園の向いにあり、松寿山と号し、曹洞宗。細川氏が小倉在城の頃、細川忠興は中津(なかつ)(現大分県中津市)に在城、その重臣に村上河内守景則があり、景則は南北朝期に八代庄を賜った名和(村上)伯耆守顕興の一八代の孫で、父八郎右衛門追福のため、正屋を開山として中津に建立した。忠興の八代入城に景則も従い、利屋を中興開山として久巌寺も上荒神(かみこうじん)丁の河畔に移した。その後宇土(うと)郡泰雲(たいうん)寺(現宇土市)の隠居耕雲が住持となり、山号寺号を持玉山雲龍寺と改めたところ、寺は火災にあい、仮堂が大風で吹倒され耕雲はその下敷となって死亡した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報