久巌寺(読み)きゆうがんじ

日本歴史地名大系 「久巌寺」の解説

久巌寺
きゆうがんじ

[現在地名]八代市通町

聖愛幼稚園の向いにあり、松寿山と号し、曹洞宗。細川氏が小倉在城の頃、細川忠興中津なかつ(現大分県中津市)に在城、その重臣に村上河内守景則があり、景則は南北朝期に八代庄を賜った名和(村上)伯耆守顕興の一八代の孫で、父八郎右衛門追福のため、正屋を開山として中津に建立した。忠興の八代入城に景則も従い、利屋を中興開山として久巌寺も上荒神かみこうじん丁の河畔に移した。その後宇土うと泰雲たいうん(現宇土市)の隠居耕雲が住持となり、山号寺号を持玉山雲龍寺と改めたところ、寺は火災にあい、仮堂が大風で吹倒され耕雲はその下敷となって死亡した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む