日本歴史地名大系 「八代庄」の解説
八代庄
やつしろのしよう
- 熊本県:八代郡
- 八代庄
現在の八代郡・市および
当庄の成立経過は明らかでないが、平家没官領として源頼朝の妹の一条能保室が知行した二〇ヵ所の所領中に肥後国八代庄がみえ、これらの所領が建久三年(一一九二)一一月子息らに譲られている(「吾妻鏡」建久三年一二月一四日条)。平家没官領とされたのは、仁安元年(一一六六)この地が平清盛の大功田とされていたからであろう。「公卿補任」仁安二年条に、八月一〇日の官符で「肥後国
八代庄
やしろのしよう
古代の
八代庄
やつしろのしよう
現
応保二年(一一六二)一月二七日、新たに甲斐守となった藤原忠重は(山槐記)、目代右馬允中原清弘を派遣して新立庄園の停廃などを命じた。甲斐に下向した清弘は、一〇月六日在庁官人三枝守政を率いて庄内に乱入、年貢を奪い取り、在家を追捕し、神人を搦め取って監禁したり、口を割くなどの乱暴を働くとともに、示を抜棄てて同庄を収公するという事件を起こした。神社側が一一月に庄家損物注文を作成し、翌月訴え出たのに応じて、朝廷は一二月二一日忠重に宣旨を下し、損物の返済と下手人の追捕・召進を命じている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報