日本の城がわかる事典 「久川城」の解説 ひさかわじょう【久川城】 福島県南会津郡南会津町(旧伊南村)にあった、戦国時代から江戸時代初期にかけての南会津の国人領主河原田氏の山城(やまじろ)。福島県史跡。麓から比高差70mの山頂に本丸があり、東西110m、南北430mの城域を有していた。平安時代末期の奥州合戦に従軍した下野国の河原田盛光がその戦功の恩賞としてこの地域を与えられ居館を築き、その子孫が駒寄城(同町)を本拠として存続した。久川城は、その河原田氏の属城である。河原田氏は1543年(天文12)、黒川城(のちの若松城、同県会津若松市)を本拠とする蘆名盛氏に攻められ蘆名氏に臣従した。河原田氏はその後、伊達政宗(まさむね)の攻撃に耐え同城を存続させた。1589年(天正17)、蘆名氏は摺上原の戦いで伊達政宗に敗れ、黒川城を奪われて滅んだが、河原田氏はその後も政宗の誘いを拒み、政宗を迎え撃つには本城の駒寄城では心許ないため、久川城を築城したともいわれる。しかし、1590年(天正18)の豊臣秀吉の奥州仕置により領地と城を没収され、以後、蒲生氏、上杉氏、再度蒲生氏の城となった後、1611年(慶長16)に廃城となった。現在、城跡は城址公園となっているが、良好な状態で空堀や土塁などの遺構が残っており、近世初期の山城を知る手がかりとしてたいへん貴重なものとなっている。現在残っている城跡の縄張りは、二度目の蒲生氏の治世下で改修されたものである。会津鉄道会津田島駅から車。◇伊南城とも呼ばれる。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報