久須之村(読み)くすのむら

日本歴史地名大系 「久須之村」の解説

久須之村
くすのむら

中世よりみえ対馬の郷村。初め佐護さご郡で、のち豊崎とよさき郡に属する。文明四年(一四七二)九月二九日の宗貞国安堵書下写(佐護郷給人等判物写)に「佐護郡内くすの村」とみえ、村内の宗右馬助知行分の「百姓門一公事」「井上いの公事」などの知行が宗貞盛の判物に任せて安堵された。これより先、嘉吉三年(一四四三)権現神職のために古藤源左衛門の塩竈のうち「かたかま」が寄進され、塩一〇俵を公事として納めることになっているが(同年四月七日「宗貞盛寄進状」豊崎郷給人等判物写、以下同判物写)、この塩竈をもつ古藤源左衛門は、文安五年(一四四八)に「六ち高麗船之かき物」を安堵、同六年に「船之うりくちかいくち」などを免除されている(同五年一一月二〇日宗貞盛書下など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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