九条忠家(読み)くじょう・ただいえ

朝日日本歴史人物事典 「九条忠家」の解説

九条忠家

没年建治1.6.9(1275.7.3)
生年寛喜1(1229)
鎌倉中期の公卿九条教実長子。嘉禎4(1238)年に元服して官位を進めるが,建長4(1252)年,九条家から出たいわゆる摂家将軍藤原頼嗣追放に関連して失脚。時に右大臣であった。のちに摂関地位につくが,実権叔父の二条良実に握られており,九条家の栄華は復し得なかった。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「九条忠家」の解説

九条忠家 くじょう-ただいえ

1229-1275 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
寛喜(かんぎ)元年7月生まれ。九条教実(のりざね)の子。延応元年従三位。内大臣,右大臣をへて文永10年関白,氏長者,従一位にすすみ,11年摂政となった。建治(けんじ)元年6月9日死去。47歳。通称は一音院関白。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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