日本年号一覧(読み)にほんねんごういちらん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本年号一覧」の意味・わかりやすい解説

日本年号一覧
にほんねんごういちらん

日本の公年号を五十音順に掲げた。読みは慣用によったが、複数記したものもある。相当西暦年(時代)については改元年も含む。


〔あ行〕
安永(あんえい)
〔相当西暦年〕1772~1781(江戸時代)
〔天皇〕後桃園(ごももぞの)、光格(こうかく)
〔改元理由〕関東の大火大風による
〔改元年月日〕明和(めいわ)9年(1772)11月16日安永と改元、安永10年(1781)4月2日天明(てんめい)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻1東京(とうけい)賦の「寿安永寧、天禄宣明、温飾迎春」などによる
〔勘申者〕菅原在煕(侍従)
〔当代の主要事件〕3年杉田玄白らの『解体新書』成る 7年ロシア船蝦夷地(えぞち)に来航

安元(あんげん)
〔相当西暦年〕1175~1177(平安時代)
〔天皇〕高倉(たかくら)
〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)の流行による
〔改元年月日〕承安(しょうあん)5年(1175)7月28日安元と改元、安元3年(1177)8月4日治承(じしょう)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』の「除民害安元元」による
〔勘申者〕藤原俊経(右大弁)
〔当代の主要事件〕元年源空(法然(ほうねん))が専修(せんじゅ)念仏を唱える、伊賀国名張(なばり)郡司東大寺領黒田荘に乱入 2年運慶が円成(えんじょう)寺大日如来(にょらい)像をつくる、河津祐泰(すけやす)が工藤祐経(すけつね)に射殺される

安政(あんせい)
〔相当西暦年〕1854~1860(江戸時代)
〔天皇〕孝明(こうめい)
〔改元理由〕内裏(だいり)炎上、地震、異国船渡来などによる
〔改元年月日〕嘉永(かえい)7年(1854)11月27日安政と改元、安政7年(1860)3月18日万延(まんえん)と改む
〔出典〕『群書治要』巻38の「庶人安政、然後君子安位矣」による
〔勘申者〕菅原聡長
〔当代の主要事件〕5年日米修好通商条約調印、安政の大獄始まる 7年桜田門外の変

安貞(あんてい)
〔相当西暦年〕1227~1229(鎌倉時代)
〔天皇〕後堀河(ごほりかわ)
〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)の流行による
〔改元年月日〕嘉禄(かろく)3年(1227)12月10日安貞と改元、安貞3年(1229)3月5日寛喜(かんき)と改む
〔出典〕『易経』上経坤(こん)の「乃終有慶、安貞之吉、応地无疆」による
〔勘申者〕菅原資高(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年高野山(こうやさん)と興福寺の衆徒ら闘争

安和(あんな/あんわ)
〔相当西暦年〕968~970(平安時代)
〔天皇〕冷泉(れいぜい)、円融(えんゆう)
〔改元理由〕冷泉天皇の即位による
〔改元年月日〕康保(こうほう)5年(968)8月13日安和と改元、安和3年(970)3月25日天禄(てんろく)と改む
〔出典〕『礼記(らいき)』楽記第19の「是故治世之音、安以楽、其政和」、『漢書(かんじょ)』巻22礼楽志の「四時舞者、孝文所作、以明示天下之安和」などによる
〔勘申者〕藤原後生(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年安和の変

永延(えいえん)
〔相当西暦年〕987~989(平安時代)
〔天皇〕一条(いちじょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕寛和(かんな)3年(987)4月5日永延と改元、永延3年(989)8月8日永祚(えいそ)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻75翼李(よくり)伝の「永世延祚、不亦優乎」、『後漢書(ごかんじょ)』巻90馬融伝の「豊千億之子孫、歴万載而永延」などによる
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年尾張(おわり)国郡司百姓ら国司の非法を訴える

永観(えいかん)
〔相当西暦年〕983~985(平安時代)
〔天皇〕円融(えんゆう)、花山(かざん)
〔改元理由〕干魃(かんばつ)、皇居火災などによる
〔改元年月日〕天元(てんげん)6年(983)4月15日永観と改元、永観3年(985)4月27日寛和(かんな)と改む
〔出典〕不明、『書経』洛誥(らくこう)に「王俾殷乃承叙万年、其永観朕子懐徳」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年奝然(ちょうねん)入宋(にっそう) 2年『三宝絵詞(さんぼうえことば)』成る

永久(えいきゅう)
〔相当西暦年〕1113~1118(平安時代)
〔天皇〕鳥羽(とば)
〔改元理由〕天変、兵革、疫疾などによる
〔改元年月日〕天永(てんえい)4年(1113)7月13日永久と改元、永久6年(1118)4月3日元永(げんえい)と改む
〔出典〕不明、『詩経』小雅(しょうが)、南有嘉魚之什(なんゆうかぎょのじゅう)に「吉甫燕喜、既多受祉、来帰自鎬、我行永久」とある
〔勘申者〕菅原在良(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年延暦(えんりゃく)寺と興福寺が争い強訴(ごうそ) 2年延暦寺僧徒の帯仗(たいじょう)を禁ず

永享(えいきょう)
〔相当西暦年〕1429~1441(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕正長(しょうちょう)2年(1429)9月5日永享と改元、永享13年(1441)2月17日嘉吉(かきつ)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』の「能立魏々之功、伝于子孫、永享無窮之祚」による
〔勘申者〕菅原在豊(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕4年足利義教(あしかがよしのり)、明(みん)との勘合貿易を再開 10年関東管領(かんれい)足利持氏、幕府に反す(永享の乱)

永治(えいじ)
〔相当西暦年〕1141~1142(平安時代)
〔天皇〕崇徳(すとく)、近衛(このえ)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕保延(ほうえん)7年(1141)7月10日永治と改元、永治2年(1142)4月28日康治(こうじ)と改む
〔出典〕『魏文典論(ぎぶんてんろん)』の「礼楽興於上、頌声作於下、永治長徳、与年豊」、『晋書(しんじょ)』武帝紀の「見土地之広、謂万葉而無虞、覩天下之安、謂千年而永治」による
〔勘申者〕藤原実光(権中納言(ごんちゅうなごん))、藤原永範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕藤原忠通(ただみち)摂政となる

永正(えいしょう)
〔相当西暦年〕1504~1521(室町時代)
〔天皇〕後柏原(ごかしわばら)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕文亀(ぶんき)4年(1504)2月30日永正と改元、永正18年(1521)8月23日大永(たいえい)と改む
〔出典〕『易緯』の「永正其道、咸受吉化、徳弘(施)四海、能継天道」によるという
〔勘申者〕菅原長直(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕5年幕府、撰銭(えりぜに)令を発布 8年山城(やましろ)徳政一揆(いっき) 11年幕府、播磨(はりま)の一向宗を禁止 山崎宗鑑(そうかん)『新撰犬筑波(しんせんいぬつくば)集』を編す

永承(えいしょう/えいじょう)
〔相当西暦年〕1046~1053(平安時代)
〔天皇〕後冷泉(ごれいぜい)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕寛徳(かんとく)3年(1046)4月14日永承と改元、永承8年(1053)1月11日天喜(てんき)と改む
〔出典〕『書経』の「永承天祚」によるという。『晋書(しんじょ)』巻21礼志に「宜奉宗廟、永承天祚」とある
〔勘申者〕平定親(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年興福寺焼失 6年前九年(ぜんくねん)の役起こる 7年末法一年に入る

永祚(えいそ)
〔相当西暦年〕989~990(平安時代)
〔天皇〕一条(いちじょう)
〔改元理由〕彗星(すいせい)、地震など天変災異による
〔改元年月日〕永延(えいえん)3年(989)8月8日永祚と改元、永祚2年(990)11月7日正暦(しょうりゃく)と改む
〔出典〕不明、『晋書(しんじょ)』巻21礼志に「宜奉宗廟、永承天祚」、『旧唐書(くとうじょ)』巻89王方慶伝に「当思荅極施之洪慈保無疆之永祚」とある
〔勘申者〕大江維時(中納言(ちゅうなごん))の旧勘文
〔当代の主要事件〕元年藤原兼家(かねいえ)太政(だいじょう)大臣となる、播磨(はりま)書写山(しょしゃざん)に円教寺創建

永長(えいちょう)
〔相当西暦年〕1096~1097(平安時代)
〔天皇〕堀河(ほりかわ)
〔改元理由〕天変、地震による
〔改元年月日〕嘉保(かほう)3年(1096)12月17日永長と改元、永長2年(1097)11月21日承徳(じょうとく)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻1光武帝(こうぶてい)紀の「夾輔王室、尊事天子、享国永長、為後世法」などによる
〔勘申者〕大江匡房(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年田楽(でんがく)が流行

永徳(えいとく)
〔相当西暦年〕1381~1384(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後円融(ごえんゆう)、後小松(ごこまつ)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕康暦(こうりゃく)3年(1381)2月24日永徳と改元、永徳4年(1384)2月27日至徳(しとく)と改む
〔出典〕不明、『群書治要』巻17に「帝永思至徳以承天心」とある
〔勘申者〕藤原仲光(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕3年足利義満(あしかがよしみつ)を准三后(じゅさんごう)とする、赤松氏則(うじのり)が幕府軍と交戦敗死

永仁(えいにん)
〔相当西暦年〕1293~1299(鎌倉時代)
〔天皇〕伏見(ふしみ)、後伏見(ごふしみ)
〔改元理由〕天変、地震などによる
〔改元年月日〕正応(しょうおう)6年(1293)8月5日永仁と改元、永仁7年(1299)4月25日正安(しょうあん)と改む
〔出典〕『晋書(しんじょ)』巻22楽志の「永載仁風、長撫無外」による
〔勘申者〕菅原在嗣(大蔵卿(おおくらきょう))
〔当代の主要事件〕元年「竹崎季長絵詞(たけざきすえながえことば)」成る、鎮西(ちんぜい)探題を置き北条兼時(かねとき)、名越(なごや)時家を下向させる 5年徳政令を発布 7年鎮西評定衆(ひょうじょうしゅう)、鎮西引付(ひきつけ)衆を創設

永保(えいほう)
〔相当西暦年〕1081~1084(平安時代)
〔天皇〕白河(しらかわ)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕承暦(じょうりゃく)5年(1081)2月10日永保と改元、永保4年(1084)2月7日応徳(おうとく)と改む
〔出典〕『書経』仲虺之誥(ちゅうきのこう)の「欽崇天道、永保天命」、同梓材(しざい)の「惟王子子孫孫、永保民人」による
〔勘申者〕藤原行家(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年熊野(くまの)僧徒らの強訴(ごうそ) 3年後三年(ごさんねん)の役起こる

永万(えいまん)
〔相当西暦年〕1165~1166(平安時代)
〔天皇〕二条(にじょう)、六条(ろくじょう)
〔改元理由〕天変、怪異、疾疫などによる
〔改元年月日〕長寛(ちょうかん)3年(1165)6月4日永万と改元、永万2年(1166)8月27日仁安(にんあん)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻64王褒伝の「休徴自至、寿考無疆、雍容垂拱、永永万年」による
〔勘申者〕藤原俊経(左少弁・文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年延暦寺(えんりゃくじ)と興福寺が争う

永暦(えいりゃく)
〔相当西暦年〕1160~1161(平安時代)
〔天皇〕二条(にじょう)
〔改元理由〕兵乱による
〔改元年月日〕平治(へいじ)2年(1160)1月10日永暦と改元、永暦2年(1161)9月4日応保(おうほう)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻110辺譲伝の「馳淳化於黎元、永歴世而太平」による
〔勘申者〕藤原永範(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年源頼朝(よりとも)伊豆に配流、高麗(こうらい)が対馬(つしま)の商人を抑留

永禄(えいろく)
〔相当西暦年〕1558~1570(室町時代)
〔天皇〕正親町(おおぎまち)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕弘治(こうじ)4年(1558)2月28日永禄と改元、永禄13年(1570)4月23日元亀(げんき)と改む
〔出典〕『群書治要』巻26の「能保世持家、永全福禄者也」による
〔勘申者〕菅原長雅(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕3年桶狭間(おけはざま)の戦い 4年川中島(かわなかじま)の戦い 6年三河一向一揆(いっこういっき) 10年「六角氏(ろっかくし)式目」制定 11年織田信長足利義昭(あしかがよしあき)を奉じ入京

永和(えいわ)
〔相当西暦年〕1375~1379(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後円融(ごえんゆう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕応安(おうあん)8年(1375)2月27日永和と改元、永和5年(1379)3月22日康暦(こうりゃく)と改む
〔出典〕『書経』舜典(しゅんてん)の「詩言志、歌永言、声依永、律和歌、八音克諧、無相奪倫、神人以和」、『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』巻8の「九功六義之興、依永和声之製、志由興作、情以詞宣」による
〔勘申者〕藤原忠光(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕4年足利義満(あしかがよしみつ)が京都室町の新邸(花の御所)に移る

延応(えんおう/えんのう)
〔相当西暦年〕1239~1240(鎌倉時代)
〔天皇〕四条(しじょう)
〔改元理由〕天変、地震による
〔改元年月日〕暦仁(りゃくにん)2年(1239)2月7日延応と改元、延応2年(1240)7月16日仁治(にんじ)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻6の「廊廟惟清、俊乂是延、擢応嘉挙」による
〔勘申者〕藤原経範(文章博士(もんじょうはかせ))、藤原長倫
〔当代の主要事件〕元年幕府人身売買を禁ず

延喜(えんぎ)
〔相当西暦年〕901~923(平安時代)
〔天皇〕醍醐(だいご)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命、天変による
〔改元年月日〕昌泰(しょうたい)4年(901)7月15日延喜と改元、延喜23年(923)閏(うるう)4月11日延長(えんちょう)と改む
〔出典〕或書の「禹錫玄珪、文云延喜」によるという。『書経』璇璣鈐に「延喜王受徳、天錫佩」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年『日本三代実録』成る 2年初めて荘園(しょうえん)整理を令す 5年『古今集』成る 7年『延喜格(えんぎきゃく)』成る 13年『延喜式』編纂(へんさん)開始 14年三善清行(みよしきよゆき)「意見封事十二箇条」を上申 17年『聖徳太子伝暦(でんりゃく)』成る

延久(えんきゅう)
〔相当西暦年〕1069~1074(平安時代)
〔天皇〕後三条(ごさんじょう)、白河(しらかわ)
〔改元理由〕後三条天皇の即位による
〔改元年月日〕治暦(じりゃく)5年(1069)4月13日延久と改元、延久6年(1074)8月23日承保(じょうほう)と改む
〔出典〕『書経』君奭(くんせき)注の「我以道惟安、寧王之徳謀欲延久也」による
〔勘申者〕藤原実綱(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年記録荘園(しょうえん)券契所を置く 4年延久宣旨枡(せんじます)を定める 5年院蔵人所(いんのくろうどどころ)を置く

延享(えんきょう)
〔相当西暦年〕1744~1748(江戸時代)
〔天皇〕桜町(さくらまち)、桃園(ももぞの)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕寛保(かんほう)4年(1744)2月21日延享と改元、延享5年(1748)7月12日寛延(かんえん)と改む
〔出典〕『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』巻1の「聖主寿延、享祚元吉、自天之祐、莫不抃舞」による
〔勘申者〕菅原長香(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年米吟味(こめぎんみ)所設置、田畑永代売買禁令緩和 3年長崎貿易のオランダ船2隻、清(しん)船10隻に制限、加賀騒動

延慶(えんけい/えんきょう)
〔相当西暦年〕1308~1311(鎌倉時代)
〔天皇〕花園(はなぞの)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕徳治(とくじ)3年(1308)10月9日延慶と改元、延慶4年(1311)4月28日応長(おうちょう)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻52馬武伝の「以功名延慶于後」による
〔勘申者〕藤原俊光(前権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年『春日権現験記(かすがごんげんけんき)』成る 3年鎌倉の大火

延元(えんげん)
〔相当西暦年〕1336~1340(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】後醍醐(ごだいご)、後村上(ごむらかみ)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕建武(けんむ)3年(1336)2月29日延元と改元、延元5年(1340)4月28日興国(こうこく)と改む
〔出典〕『梁書(りょうしょ)』の「沈休文等奏言、聖徳所被、上自蒼蒼、下延元元」によるという
〔勘申者〕菅原長員(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年足利尊氏(あしかがたかうじ)幕府を開き建武式目制定 3年尊氏征夷(せいい)大将軍となる

延長(えんちょう)
〔相当西暦年〕923~931(平安時代)
〔天皇〕醍醐(だいご)、朱雀(すざく)
〔改元理由〕水潦(すいろう)、疾疫による
〔改元年月日〕延喜(えんぎ)23年(923)閏(うるう)4月11日延長と改元、延長9年(931)4月26日承平(じょうへい)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻1東都賦白雉(はくち)詩の「彰皇徳兮、侔周成、永延長兮膺天慶」による
〔勘申者〕醍醐天皇の勅
〔当代の主要事件〕5年『延喜式』成る 6年諸国の乗田に三分法を定める

延徳(えんとく)
〔相当西暦年〕1489~1492(室町時代)
〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)
〔改元理由〕天変、疫疾などによる
〔改元年月日〕長享(ちょうきょう)3年(1489)8月21日延徳と改元、延徳4年(1492)7月19日明応(めいおう)と改む
〔出典〕『孟子(もうし)』の「開延道徳」によるという
〔勘申者〕菅原長直(参議)
〔当代の主要事件〕2年足利義材(あしかがよしき)(義稙)征夷(せいい)大将軍となる 3年北条早雲(そううん)伊豆の堀越公方(ほりこしくぼう)を滅ぼす

延文(えんぶん)
〔相当西暦年〕1356~1361(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後光厳(ごこうごん)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕文和(ぶんな)5年(1356)3月28日延文と改元、延文6年(1361)3月29日康安(こうあん)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻88儒林伝の「延文学儒者以百数」による
〔勘申者〕藤原忠光(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年足利尊氏(あしかがたかうじ)没し、足利義詮(よしあきら)将軍となる

延宝(えんぽう/えんほう)
〔相当西暦年〕1673~1681(江戸時代)
〔天皇〕霊元(れいげん)
〔改元理由〕内裏(だいり)炎上などによる
〔改元年月日〕寛文(かんぶん)13年(1673)9月21日延宝と改元、延宝9年(1681)9月29日天和(てんな)と改む
〔出典〕『隋書(ずいしょ)』巻14音楽志の「分四序、綴三光、延宝祚、渺無疆」による
〔勘申者〕菅原為庸(ためつね)(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年江戸と京都に越後(えちご)屋呉服店開く 3年伊奈忠易(ただやす)、小笠原(おがさわら)島探検 6年江戸大地震 7年越後騒動 8年徳川綱吉(つなよし)将軍となる

延暦(えんりゃく)
〔相当西暦年〕782~806(平安時代)
〔天皇〕桓武(かんむ)、平城(へいぜい)
〔改元理由〕桓武天皇の即位による
〔改元年月日〕天応(てんおう)2年(782)8月19日延暦と改元、延暦25年(806)5月18日大同(だいどう)と改む
〔出典〕不明、『群書治要』巻26に「民詠徳政、則延期過歴」とある(歴は暦に通じる)
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年長岡京に遷都 7年最澄(さいちょう)延暦寺創建 13年平安京に遷都 21年胆沢(いさわ)城を築く 24年最澄帰国し天台宗を始める

応安(おうあん)
〔相当西暦年〕1368~1375(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後光厳(ごこうごん)、後円融(ごえんゆう)
〔改元理由〕病患、天変地異による
〔改元年月日〕貞治(じょうじ)7年(1368)2月18日応安と改元、応安8年(1375)2月27日永和(えいわ)と改む
〔出典〕『毛詩(もうし)正義』大雅江漢の「今四方既已平、服王国之内、幸応安定」による
〔勘申者〕菅原時親(治部卿(じぶきょう))
〔当代の主要事件〕2年楠木正儀(くすのきまさのり)北朝に降(くだ)る 4年ころ『太平記』成る 7年円覚寺焼失

応永(おうえい)
〔相当西暦年〕1394~1428(室町時代)
〔天皇〕後小松(ごこまつ)、称光(しょうこう)
〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)、干魃(かんばつ)などによる
〔改元年月日〕明徳(めいとく)5年(1394)7月5日応永と改元、応永35年(1428)4月27日正長(しょうちょう)と改む
〔出典〕『会要』の「久応称之、永有天下」によるという
〔勘申者〕藤原重光(参議・右大弁)
〔当代の主要事件〕4年金閣寺建立 5年三管領四職(さんかんれいししき)の制定まる 6年応永の乱、大内義弘(よしひろ)敗死 8年第1回遣明(けんみん)船派遣 11年勘合貿易始まる 26年応永の外寇(がいこう)、明と国交を絶つ

応長(おうちょう)
〔相当西暦年〕1311~1312(鎌倉時代)
〔天皇〕花園(はなぞの)
〔改元理由〕疫病の流行による
〔改元年月日〕延慶(えんけい)4年(1311)4月28日応長と改元、応長2年(1312)3月20日正和(しょうわ)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻22礼儀志の「応長暦之規、象中月之度、広綜陰陽之数、傍通寒暑之和」による
〔勘申者〕菅原在兼(勘解由(かげゆ)長官)
〔当代の主要事件〕元年興福寺衆徒が多武峯(とうのみね)僧徒と争う、北条宗宣(むねのぶ)執権となる

応徳(おうとく)
〔相当西暦年〕1084~1087(平安時代)
〔天皇〕白河(しらかわ)、堀河(ほりかわ)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕永保(えいほう)4年(1084)2月7日応徳と改元、応徳4年(1087)4月7日寛治(かんじ)と改む
〔出典〕『白虎通(びゃっこつう)』封禅の「天下太平、符瑞所以来至者、以為王者承天順理、調和陰陽、和万物序、休気充塞、故符瑞並臻、皆応徳而至」による
〔勘申者〕藤原有綱(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』成る、白河上皇の院政始まる

応仁(おうにん)
〔相当西暦年〕1467~1469(室町時代)
〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕文正(ぶんしょう)2年(1467)3月5日応仁と改元、応仁3年(1469)4月28日文明(ぶんめい)と改む
〔出典〕『維城典訓』の「仁之感物、物之応仁、若影随形、猶声致響」による
〔勘申者〕菅原継長(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年応仁の乱起こる

応保(おうほう/おうほ)
〔相当西暦年〕1161~1163(平安時代)
〔天皇〕二条(にじょう)
〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)の流行による
〔改元年月日〕永暦(えいりゃく)2年(1161)9月4日応保と改元、応保3年(1163)3月29日長寛(ちょうかん)と改む
〔出典〕『書経』康誥(こうこう)の「已女惟小子、乃服惟弘王、応保殷民」による
〔勘申者〕藤原資長(参議・左大弁)
〔当代の主要事件〕2年延暦寺(えんりゃくじ)衆徒蜂起(ほうき)

応和(おうわ)
〔相当西暦年〕961~964(平安時代)
〔天皇〕村上(むらかみ)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命、皇居火災などによる
〔改元年月日〕天徳(てんとく)5年(961)2月16日応和と改元、応和4年(964)7月10日康保(こうほう)と改む
〔出典〕『晋書(しんじょ)』巻17律暦志董巴議(とうはぎ)の「鳥獣万物、莫不応和」などによる
〔勘申者〕菅原文時(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年清涼殿で天台・南都の僧に論議させる(応和の宗論)

〔か行〕
嘉永(かえい)
〔相当西暦年〕1848~1854(江戸時代)
〔天皇〕孝明(こうめい)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕弘化(こうか)5年(1848)2月28日嘉永と改元、嘉永7年(1854)11月27日安政(あんせい)と改む
〔出典〕『宋書(そうじょ)』巻20楽志の「思皇享多祐、嘉楽永無央」による
〔勘申者〕菅原以長(式部権大輔(ごんのたいふ)、大学頭(かみ))
〔当代の主要事件〕6年ペリー浦賀に来航、ロシア使節プチャーチン長崎に来航 7年日米和親条約調印

嘉応(かおう)
〔相当西暦年〕1169~1171(平安時代)
〔天皇〕高倉(たかくら)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕仁安(にんあん)4年(1169)4月8日嘉応と改元、嘉応3年(1171)4月21日承安(しょうあん)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻64王褒伝の「天下殷富、数有嘉応」による
〔勘申者〕藤原資長(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年後白河(ごしらかわ)上皇出家 2年『今鏡(いまかがみ)』成る

嘉吉(かきつ/かきち)
〔相当西暦年〕1441~1444(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕永享(えいきょう)13年(1441)2月17日嘉吉と改元、嘉吉4年(1444)2月5日文安(ぶんあん)と改む
〔出典〕『易経』随卦(ずいか)・象上伝の「孚于嘉吉、位正中也」による
〔勘申者〕菅原益長(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年足利義教(あしかがよしのり)暗殺、嘉吉の乱起こる 2年足利義勝将軍となる 3年南朝の遺臣、神璽(しんじ)・宝剣を奪う

嘉慶(かけい/かきょう)
〔相当西暦年〕1387~1389(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後小松(ごこまつ)
〔改元理由〕即位と疾疫の流行による
〔改元年月日〕至徳(しとく)4年(1387)8月23日嘉慶と改元、嘉慶3年(1389)2月9日康応(こうおう)と改む
〔出典〕『毛詩(もうし)正義』の「将有嘉慶、禎祥先来見也」によるという
〔勘申者〕菅原秀長(前右大弁)
〔当代の主要事件〕元年足利義満(あしかがよしみつ)関東を遊覧

嘉元(かげん)
〔相当西暦年〕1303~1306(鎌倉時代)
〔天皇〕後二条(ごにじょう)
〔改元理由〕炎旱(えんかん)、彗星(すいせい)による
〔改元年月日〕乾元(けんげん)2年(1303)8月5日嘉元と改元、嘉元4年(1306)12月14日徳治(とくじ)と改む
〔出典〕『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』巻1天部の賀老人星表「嘉占元吉、弘無量之祐、隆克昌之祚、普天同慶、率土合歓」による
〔勘申者〕菅原在嗣(ありつぐ)(前参議)
〔当代の主要事件〕元年『新後撰(しんごせん)和歌集』成る 3年北条時村殺される

嘉承(かしょう/かじょう)
〔相当西暦年〕1106~1108(平安時代)
〔天皇〕堀河(ほりかわ)、鳥羽(とば)
〔改元理由〕彗星(すいせい)による
〔改元年月日〕長治(ちょうじ)3年(1106)4月9日嘉承と改元、嘉承3年(1108)8月3日天仁(てんにん)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻22礼楽志の「嘉承天和、伊楽厥福」による
〔勘申者〕菅原在良(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年祇園(ぎおん)神人(じにん)の蜂起(ほうき)、延暦(えんりゃく)寺僧徒京中で乱行

嘉祥(かしょう/かじょう)
〔相当西暦年〕848~851(平安時代)
〔天皇〕仁明(にんみょう)、文徳(もんとく)
〔改元理由〕豊後(ぶんご)国から白亀が献じられた瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕承和(じょうわ)15年(848)6月13日嘉祥と改元、嘉祥4年(851)4月28日仁寿(にんじゅ)と改む
〔出典〕不明、『漢書(かんじょ)』巻81匡衡(きょうこう)伝に「百姓安、陰陽和、神霊応而嘉祥見」、『文選(もんぜん)』巻1東京賦に「総集瑞命、備致嘉祥」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年富豪の山野独占を禁止

嘉禎(かてい)
〔相当西暦年〕1235~1238(鎌倉時代)
〔天皇〕四条(しじょう)
〔改元理由〕天変、地震による
〔改元年月日〕文暦(ぶんりゃく)2年(1235)9月19日嘉禎と改元、嘉禎4年(1238)11月23日暦仁(りゃくにん)と改む
〔出典〕『北斉書』巻4文宣紀の「蘊千祀、彰明嘉禎」による
〔勘申者〕藤原頼資(前中納言(ちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年興福寺僧徒鎮圧のため大和(やまと)に守護・地頭を置く

嘉保(かほう)
〔相当西暦年〕1094~1096(平安時代)
〔天皇〕堀河(ほりかわ)
〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)の流行による
〔改元年月日〕寛治(かんじ)8年(1094)12月15日嘉保と改元、嘉保3年(1096)12月17日永長(えいちょう)と改む
〔出典〕『史記』巻6始皇本紀の「嘉保太平」による
〔勘申者〕大江匡房(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年北面武士を置く

嘉暦(かりゃく)
〔相当西暦年〕1326~1329(鎌倉時代)
〔天皇〕後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕疾疫の流行、地震による
〔改元年月日〕正中(しょうちゅう)3年(1326)4月26日嘉暦と改元、嘉暦4年(1329)8月29日元徳(げんとく)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻13本紀の「四序嘉辰、暦代増置」による
〔勘申者〕藤原藤範(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年蝦夷(えぞ)反乱、護良(もりよし)親王天台座主(ざす)となる

嘉禄(かろく)
〔相当西暦年〕1225~1227(鎌倉時代)
〔天皇〕後堀河(ごほりかわ)
〔改元理由〕疾疫の流行による
〔改元年月日〕元仁(げんにん)2年(1225)4月20日嘉禄と改元、嘉禄3年(1227)12月10日安貞(あんてい)と改む
〔出典〕『博物志』の「陛下摛顕先帝光耀、以奉皇天嘉禄」による
〔勘申者〕菅原在高(兵部卿(ひょうぶきょう))
〔当代の主要事件〕元年評定衆(ひょうじょうしゅう)・鎌倉番役の制を定める 2年藤原頼経(よりつね)将軍となる

寛永(かんえい)
〔相当西暦年〕1624~1644(江戸時代)
〔天皇〕後水尾(ごみずのお)、明正(めいしょう)、後光明(ごこうみょう)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕元和(げんな)10年(1624)2月30日寛永と改元、寛永21年(1644)12月16日正保(しょうほう)と改む
〔出典〕『詩経』朱子(しゅし)注の「寛広、永長」による
〔勘申者〕菅原長維(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年イスパニア船の来航禁止 6年紫衣(しえ)事件、長崎で踏絵始まる 10年奉書船以外の渡航を禁ず(鎖国令始まる) 14年島原の乱 16年ポルトガル人の来航禁止(鎖国完了)

寛延(かんえん)
〔相当西暦年〕1748~1751(江戸時代)
〔天皇〕桃園(ももぞの)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕延享(えんきょう)5年(1748)7月12日寛延と改元、寛延4年(1751)10月27日宝暦(ほうれき)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10の「開寛裕之路、以延天下之英俊也」による
〔勘申者〕菅原為範(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年定免制を全面施行 3年百姓の逃散(ちょうさん)・強訴(ごうそ)を厳禁、諸国人口調査

寛喜(かんき/かんぎ)
〔相当西暦年〕1229~1232(鎌倉時代)
〔天皇〕後堀河(ごほりかわ)
〔改元理由〕災異、天変による
〔改元年月日〕安貞(あんてい)3年(1229)3月5日寛喜と改元、寛喜4年(1232)4月2日貞永(じょうえい)と改む
〔出典〕『魏書(ぎしょ)』の「仁興温良、寛興喜楽」によるという
〔勘申者〕菅原為長(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕3年大飢饉(ききん)、新補地頭(しんぽじとう)の所務を定める

元慶(がんぎょう)
〔相当西暦年〕877~885(平安時代)
〔天皇〕陽成(ようぜい)、光孝(こうこう)
〔改元理由〕陽成天皇の即位、白雉(はくち)・白鹿(はくろく)献上の瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕貞観(じょうがん)19年(877)4月16日元慶と改元、元慶9年(885)2月21日仁和(にんな)と改む
〔出典〕不明、『易経』象(しょう)上伝に「元吉在上、大有慶也」、『文選(もんぜん)』巻11弁亡論に「是以其安也、則黎元与之同慶、及其危也」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年出羽(でわ)俘囚(ふしゅう)の反乱 3年『日本文徳(もんとく)天皇実録』成る 5年奨学院を創立

寛元(かんげん)
〔相当西暦年〕1243~1247(鎌倉時代)
〔天皇〕後嵯峨(ごさが)、後深草(ごふかくさ)
〔改元理由〕後嵯峨天皇の即位による
〔改元年月日〕仁治(にんじ)4年(1243)2月26日寛元と改元、寛元5年(1247)2月28日宝治(ほうじ)と改む
〔出典〕『宋書(そうじょ)』の「舜禹之際、五教在寛、元元以平」によるという
〔勘申者〕菅原為長(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年鎌倉大仏なる 2年藤原頼嗣(よりつぐ)将軍となる 4年北条時頼(ときより)執権となる

寛弘(かんこう)
〔相当西暦年〕1004~1012(平安時代)
〔天皇〕一条(いちじょう)、三条(さんじょう)
〔改元理由〕天変地妖(ちよう)による
〔改元年月日〕長保(ちょうほう)6年(1004)7月20日寛弘と改元、寛弘9年(1012)12月25日長和(ちょうわ)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻9元帝紀の「寛弘尽下、出於恭倹、号令温雅、有古之風烈」による
〔勘申者〕大江匡衡(式部権大輔(ごんのたいふ))
〔当代の主要事件〕3年興福寺衆徒強訴(ごうそ) 5年尾張(おわり)の郡司・百姓ら愁訴(しゅうそ)、このころ『源氏物語』成る 7年『紫式部日記』成る

寛治(かんじ)
〔相当西暦年〕1087~1094(平安時代)
〔天皇〕堀河(ほりかわ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕応徳(おうとく)4年(1087)4月7日寛治と改元、寛治8年(1094)12月15日嘉保(かほう)と改む
〔出典〕『礼記(らいき)』祭法の「湯以寛治民、而除其虐、文王以文治、武王以武功、此皆有功烈於民者也」による
〔勘申者〕大江匡房(左大弁)
〔当代の主要事件〕元年後三年(ごさんねん)の役終わる 6年源義家(よしいえ)の荘園(しょうえん)を停止 7年興福寺衆徒ら強訴(ごうそ)

寛正(かんしょう)
〔相当西暦年〕1460~1466(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)、後土御門(ごつちみかど)
〔改元理由〕天下飢饉(ききん)による
〔改元年月日〕長禄(ちょうろく)4年(1460)12月21日寛正と改元、寛正7年(1466)2月28日文正(ぶんしょう)と改む
〔出典〕『孔子家語(こうしけご)』の「外寛而内正」による
〔勘申者〕藤原勝光(権大納言(ごんだいなごん))
〔当代の主要事件〕2年寛正の凶作 3年土一揆(つちいっき)が京・奈良に入る 4年京都に徳政一揆 6年延暦(えんりゃく)寺衆徒が大谷本願寺を破却、蓮如(れんにょ)は近江(おうみ)堅田(かたた)に移る

寛政(かんせい)
〔相当西暦年〕1789~1801(江戸時代)
〔天皇〕光格(こうかく)
〔改元理由〕内裏(だいり)炎上などによる
〔改元年月日〕天明(てんめい)9年(1789)1月25日寛政と改元、寛政13年(1801)2月5日享和(きょうわ)と改む
〔出典〕『左伝』昭公20年の「施之以寛、寛以済猛、猛以済寛、政是以和」による
〔勘申者〕菅原胤長(前権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年人足寄場を江戸石川島に設置、寛政異学の禁 4年ロシア使節ラクスマン根室(ねむろ)に来航 12年伊能忠敬(ただたか)、蝦夷(えぞ)地測量

寛徳(かんとく)
〔相当西暦年〕1044~1046(平安時代)
〔天皇〕後朱雀(ごすざく)、後冷泉(ごれいぜい)
〔改元理由〕疾疫、干魃(かんばつ)による
〔改元年月日〕長久(ちょうきゅう)5年(1044)11月24日寛徳と改元、寛徳3年(1046)4月14日永承(えいしょう)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻57杜林(とりん)伝の「海内歓欣、人懐寛徳」による
〔勘申者〕平定親(文章博士(もんじょうはかせ))、大江挙周(式部権大輔(ごんのたいふ))
〔当代の主要事件〕2年新立荘園(しょうえん)停止令

寛和(かんな/かんわ)
〔相当西暦年〕985~987(平安時代)
〔天皇〕花山(かざん)、一条(いちじょう)
〔改元理由〕花山天皇の即位による
〔改元年月日〕永観(えいかん)3年(985)4月27日寛和と改元、寛和3年(987)4月5日永延(えいえん)と改む
〔出典〕不明、『書経』君陳(くんちん)に「寛而有制、従容以和」、『後漢書(ごかんじょ)』巻73何敞(かしょう)伝に「以寛和為政」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年『往生(おうじょう)要集』成る 2年奝然(ちょうねん)、宋(そう)版「大蔵経(だいぞうきょう)」をもたらす

寛仁(かんにん)
〔相当西暦年〕1017~1021(平安時代)
〔天皇〕後一条(ごいちじょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕長和(ちょうわ)6年(1017)4月23日寛仁と改元、寛仁5年(1021)2月2日治安(じあん)と改む
〔出典〕『会稽(かいけい)記』の「寛仁祐云々」によるという
〔勘申者〕藤原広業(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年藤原道長太政(だいじょう)大臣となる、伊勢(いせ)国百姓ら国守藤原孝忠(たかただ)の重任を請う 3年刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)、藤原頼通(よりみち)関白となる

観応(かんのう/かんおう)
〔相当西暦年〕1350~1352(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】崇光(すこう)、後光厳(ごこうごん)
〔改元理由〕崇光天皇の即位による
〔改元年月日〕貞和(じょうわ)6年(1350)2月27日観応と改元、観応3年(1352)9月27日文和(ぶんな)と改む
〔出典〕『荘子(そうじ)』外篇(がいへん)天地の「玄古之君天下無為也、疏曰、以虚通之理、観応物之数而無為」による
〔勘申者〕藤原行光(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)殺される、足利尊氏(あしかがたかうじ)南朝に降(くだ)る 3年正平一統破れ、南軍入京

寛平(かんぴょう/かんぺい/かんへい)
〔相当西暦年〕889~898(平安時代)
〔天皇〕宇多(うだ)、醍醐(だいご)
〔改元理由〕宇多天皇の即位による
〔改元年月日〕仁和(にんな)5年(889)4月27日寛平と改元、寛平10年(898)4月26日昌泰(しょうたい)と改む
〔出典〕不明、『漢書(かんじょ)』巻76王尊伝に「寛大之政行、和平之気通」、『後漢書(ごかんじょ)』巻76郭躬伝に「躬家世掌法、務在寛平」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕6年遣唐使廃止 8年百姓の荒田・閑地占有、五位以上の私営田を禁止

寛文(かんぶん)
〔相当西暦年〕1661~1673(江戸時代)
〔天皇〕後西(ごさい)、霊元(れいげん)
〔改元理由〕内裏(だいり)炎上など火災による
〔改元年月日〕万治(まんじ)4年(1661)4月25日寛文と改元、寛文13年(1673)9月21日延宝(えんぽう)と改む
〔出典〕『荀子(じゅんし)』巻第9致士篇の「節奏陵而文、生民寛而安、上文下安、功名之極也」による
〔勘申者〕菅原為庸(式部権大輔(ごんのたいふ))
〔当代の主要事件〕2年若年寄設置 8年京都町奉行(まちぶぎょう)設置 9年蝦夷(えぞ)(シャクシャイン)の乱 11年河村瑞賢(ずいけん)が東廻(ひがしまわり)航路開発

寛保(かんほう/かんぽう)
〔相当西暦年〕1741~1744(江戸時代)
〔天皇〕桜町(さくらまち)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕元文(げんぶん)6年(1741)2月27日寛保と改元、寛保4年(1744)2月21日延享(えんきょう)と改む
〔出典〕『国語』巻2周語の「寛所以保本也」による
〔勘申者〕菅原長香(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年公事方御定書(くじかたおさだめがき)制定 3年諸国に菜種(なたね)栽培を奨励

久安(きゅうあん)
〔相当西暦年〕1145~1151(平安時代)
〔天皇〕近衛(このえ)
〔改元理由〕彗星(すいせい)の出現による
〔改元年月日〕天養(てんよう)2年(1145)7月22日久安と改元、久安7年(1151)1月26日仁平(にんぺい)と改む
〔出典〕『晋書(しんじょ)』巻46劉頌(りゅうしょう)伝の「建久安於万載、垂長世於無窮」による
〔勘申者〕藤原永範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年平清盛(きよもり)が安芸守(あきのかみ)となる 3年延暦(えんりゃく)寺僧徒ら平忠盛・清盛の流罪を強訴(ごうそ) 4年土御門(つちみかど)殿焼失 5年藤原頼長(よりなが)左大臣となる

久寿(きゅうじゅ)
〔相当西暦年〕1154~1156(平安時代)
〔天皇〕近衛(このえ)、後白河(ごしらかわ)
〔改元理由〕変異、厄運による
〔改元年月日〕仁平(にんぺい)4年(1154)10月28日久寿と改元、久寿3年(1156)4月27日保元(ほうげん)と改む
〔出典〕『抱朴子(ほうぼくし)』内篇巻8の「其業在於全身久寿」による
〔勘申者〕藤原朝隆(右大弁)
〔当代の主要事件〕元年源為朝(ためとも)の乱行により父為義(ためよし)解官 2年源義朝(よしとも)に弟源頼賢(よりかた)討伐を命ず

慶雲(きょううん/けいうん)
〔相当西暦年〕704~708(奈良時代)
〔天皇〕文武(もんむ)、元明(げんめい)
〔改元理由〕西楼上に慶雲を見た瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕大宝(たいほう)4年(704)5月10日慶雲と改元、慶雲5年(708)1月11日和銅(わどう)と改む
〔出典〕不明、『文選(もんぜん)』巻6に「朝想慶雲興、夕遅白日移」、『晋書(しんじょ)』巻54陸雲伝に「天網広羅、慶雲興以招龍」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年中納言(ちゅうなごん)を置く 3年諸臣の山野占有を禁止

享徳(きょうとく)
〔相当西暦年〕1452~1455(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕三合厄、疱瘡(ほうそう)の流行による
〔改元年月日〕宝徳(ほうとく)4年(1452)7月25日享徳と改元、享徳4年(1455)7月25日康正(こうしょう)と改む
〔出典〕『書経』周書・微子(びし)之命の「世世享徳、万邦作式」による
〔勘申者〕菅原為賢(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年細川勝元(かつもと)が管領(かんれい)となる 2年遣明(けんみん)使北京(ペキン)に入る 3年畠山(はたけやま)政長が義就(よしなり)と家督を争う、足利成氏(あしかがしげうじ)が上杉憲忠(のりただ)を殺す

享保(きょうほう)
〔相当西暦年〕1716~1736(江戸時代)
〔天皇〕中御門(なかみかど)、桜町(さくらまち)
〔改元理由〕変異による
〔改元年月日〕正徳(しょうとく)6年(1716)6月22日享保と改元、享保21年(1736)4月28日元文(げんぶん)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』の「享茲大命、保有万国」によるという
〔勘申者〕菅原長義(式部権大輔(ごんのたいふ))
〔当代の主要事件〕元年徳川吉宗(よしむね)将軍となり享保の改革始まる 3年定免制を定める 6年目安箱を設置 7年諸大名に上米(あげまい)を課し参勤期間を緩和 8年足高(たしだか)の制を定める 17年全国的大飢饉(ききん)

享禄(きょうろく)
〔相当西暦年〕1528~1532(室町時代)
〔天皇〕後奈良(ごなら)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕大永(たいえい)8年(1528)8月20日享禄と改元、享禄5年(1532)7月29日天文(てんぶん)と改む
〔出典〕『易経』大畜卦彖程(だいちくかたんてい)氏伝注の「居天位、享天禄也」による
〔勘申者〕菅原和長(前大納言(だいなごん))
〔当代の主要事件〕2年叡山(えいざん)宗徒が京中の日蓮(にちれん)宗徒を殺す 4年上杉憲政(のりまさ)関東管領(かんれい)となる

享和(きょうわ)
〔相当西暦年〕1801~1804(江戸時代)
〔天皇〕光格(こうかく)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕寛政(かんせい)13年(1801)2月5日享和と改元、享和4年(1804)2月11日文化(ぶんか)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻11晋紀総論の「順乎天而享其運、応乎人而和其義」による
〔勘申者〕菅原在煕(前参議)
〔当代の主要事件〕元年伊能忠敬(ただたか)に諸国の沿岸測量を命ず 2年蝦夷奉行(えぞぶぎょう)(後の箱館(はこだて)奉行)設置 3年アメリカ船・イギリス船長崎に来航

慶安(けいあん/きょうあん)
〔相当西暦年〕1648~1652(江戸時代)
〔天皇〕後光明(ごこうみょう)
〔改元理由〕御慎による
〔改元年月日〕正保(しょうほう)5年(1648)2月15日慶安と改元、慶安5年(1652)9月18日承応(じょうおう)と改む
〔出典〕『易経』彖(たん)上伝の「乃終有慶、安貞之吉応地無疆」による
〔勘申者〕菅原為適(前参議)
〔当代の主要事件〕2年農民法度(はっと)(慶安御触書(おふれがき))・検地条目制定 4年慶安事件、由比正雪(ゆいしょうせつ)自殺、徳川家綱(いえつな)将軍となる

慶応(けいおう)
〔相当西暦年〕1865~1868(江戸時代)
〔天皇〕孝明(こうめい)、明治(めいじ)
〔改元理由〕京都兵乱、世間不穏による
〔改元年月日〕元治(げんじ)2年(1865)4月7日慶応と改元、慶応4年(1868)9月8日明治と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10の「慶雲応輝、皇階授木」による
〔勘申者〕菅原在光(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年第二次長州征伐令 2年薩長(さっちょう)同盟成る、徳川慶喜将軍となる、世直し一揆(いっき)高まる 4年五か条の誓文(せいもん)、五榜(ごぼう)の掲示、政体書頒布(はんぷ)

慶長(けいちょう/きょうちょう)
〔相当西暦年〕1596~1615(江戸時代)
〔天皇〕後陽成(ごようぜい)、後水尾(ごみずのお)
〔改元理由〕天変、地妖(ちよう)による
〔改元年月日〕文禄(ぶんろく)5年(1596)10月27日慶長と改元、慶長20年(1615)7月13日元和(げんな)と改む
〔出典〕『毛詩注疏(もうしちゅうそ)』の「文王功徳深厚、故福慶延長」による
〔勘申者〕菅原為経(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年朝鮮再征を命ず(慶長の役) 5年関ヶ原の戦い 8年徳川家康が征夷大将軍となり幕府を開く 10年徳川秀忠(ひでただ)が将軍となる 12年林羅山(らざん)将軍侍講(じこう)となる

建永(けんえい)
〔相当西暦年〕1206~1207(鎌倉時代)
〔天皇〕土御門(つちみかど)
〔改元理由〕赤斑瘡による
〔改元年月日〕元久(げんきゅう)3年(1206)4月27日建永と改元、建永2年(1207)10月25日承元(じょうげん)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻9の「流恵下民、建永世之業」による
〔勘申者〕藤原範光(春宮権大夫(とうぐうごんのたいふ))、菅原在高(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年源空(法然(ほうねん))・親鸞(しんらん)配流される、和泉(いずみ)・紀伊両国守護を停止

元永(げんえい)
〔相当西暦年〕1118~1120(平安時代)
〔天皇〕鳥羽(とば)
〔改元理由〕天変、疾疫による
〔改元年月日〕永久(えいきゅう)6年(1118)4月3日元永と改元、元永3年(1120)4月10日保安(ほうあん)と改む
〔出典〕不明、『易経』坤(こん)上坎(かん)下に「比吉原筮元永貞、无咎」とある
〔勘申者〕菅原在良(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年平正盛(まさもり)、京・鎮西(ちんぜい)に賊を討つ

元応(げんおう)
〔相当西暦年〕1319~1321(鎌倉時代)
〔天皇〕後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕文保(ぶんぽう)3年(1319)4月28日元応と改元、元応3年(1321)2月23日元亨(げんこう)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』の「陛下富教安人、務農敦本、光復社稷、康済黎元之応也」によるという
〔勘申者〕菅原在輔(式部大輔(たいふ))、藤原俊光(前大納言(だいなごん))
〔当代の主要事件〕2年出羽(でわ)の蝦夷(えぞ)反乱

元亀(げんき)
〔相当西暦年〕1570~1573(室町時代)
〔天皇〕正親町(おおぎまち)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕永禄(えいろく)13年(1570)4月23日元亀と改元、元亀4年(1573)7月28日天正(てんしょう)と改む
〔出典〕『詩経』魯頌泮水篇(ろしょうはんすいへん)の「憬彼淮夷、来献其琛、元亀象歯大賂南金」、『文選(もんぜん)』巻1蜀都(しょくと)賦の「元亀水処、潜竜蟠於沮沢、応鳴鼓而興雨」による
〔勘申者〕菅原長雅(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年姉川の戦い、ポルトガル船長崎で初めて交易 2年織田信長延暦(えんりゃく)寺を焼打ち

建久(けんきゅう)
〔相当西暦年〕1190~1199(鎌倉時代)
〔天皇〕後鳥羽(ごとば)、土御門(つちみかど)
〔改元理由〕明年が三合厄、地震・異変による
〔改元年月日〕文治(ぶんじ)6年(1190)4月11日建久と改元、建久10年(1199)4月27日正治(しょうじ)と改む
〔出典〕『呉志』巻7の「安国和民建久長之計」、『晋書(しんじょ)』巻46劉頌(りゅうしょう)伝の「建久安於万歳、垂長世於無窮」による
〔勘申者〕藤原光輔(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年栄西(えいさい)帰国、臨済(りんざい)禅を伝える 3年源頼朝(よりとも)征夷(せいい)大将軍となる 6年頼朝京都に入る、東大寺再建の供養

元久(げんきゅう)
〔相当西暦年〕1204~1206(鎌倉時代)
〔天皇〕土御門(つちみかど)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕建仁(けんにん)4年(1204)2月20日元久と改元、元久3年(1206)4月27日建永(けんえい)と改む
〔出典〕『毛詩(もうし)正義』の「文王建元久矣」による
〔勘申者〕藤原親経(参議)
〔当代の主要事件〕元年源頼家(よりいえ)殺される 2年『新古今和歌集』成る、北条義時(よしとき)執権となる

乾元(けんげん)
〔相当西暦年〕1302~1303(鎌倉時代)
〔天皇〕後二条(ごにじょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕正安(しょうあん)4年(1302)11月21日乾元と改元、乾元2年(1303)8月5日嘉元(かげん)と改む
〔出典〕『易経』乾卦(けんか)の「大哉乾元、万物資始、乃統天」による
〔勘申者〕菅原長成(前宰相)
〔当代の主要事件〕2年京極為兼(きょうごくためかね)佐渡から召還

元弘(げんこう)
〔相当西暦年〕1331~1334(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕疫疾の流行による
〔改元年月日〕元徳(げんとく)3年(1331)8月9日元弘と改元、元弘4年(1334)1月29日建武(けんむ)と改む
〔出典〕『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』巻1天部の「老人星体色光明、嘉占元吉、弘無量之裕降克昌之祥、普天同慶率土合歓」による
〔勘申者〕菅原在登(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年幕府光厳(こうごん)天皇を擁立 3年鎌倉幕府滅亡、記録所・雑訴決断所設置

元亨(げんこう)
〔相当西暦年〕1321~1324(鎌倉時代)
〔天皇〕後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕元応(げんおう)3年(1321)2月23日元亨と改元、元亨4年(1324)12月9日正中(しょうちゅう)と改む
〔出典〕『易経』彖(たん)上の「其徳剛健而文明、応乎天、而時行、是以元亨」による
〔勘申者〕藤原資朝(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年天皇親政、記録所を置く 2年『元亨釈書』成る、奈良の僧徒闘争、出羽(でわ)の蝦夷(えぞ)反乱

建治(けんじ)
〔相当西暦年〕1275~1278(鎌倉時代)
〔天皇〕後宇多(ごうだ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕文永(ぶんえい)12年(1275)4月25日建治と改元、建治4年(1278)2月29日弘安(こうあん)と改む
〔出典〕『周礼(しゅらい)』の「以治建国之為政」によるという
〔勘申者〕菅原在匡(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年幕府、蒙古(もうこ)の使者を斬る、幕府外征を計画 2年鎮西(ちんぜい)の将士に海岸に石築地(いしついじ)をつくることを命ず

元治(げんじ)
〔相当西暦年〕1864~1865(江戸時代)
〔天皇〕孝明(こうめい)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕文久(ぶんきゅう)4年(1864)2月20日元治と改元、元治2年(1865)4月7日慶応(けいおう)と改む
〔出典〕『易経』乾卦(けんか)の「乾元用九天下治也」による
〔勘申者〕菅原為栄(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年池田屋事件、禁門の変、下関(しものせき)戦争、第一次長州征伐、高杉晋作(しんさく)挙兵

元中(げんちゅう)
〔相当西暦年〕1384~1392(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】後亀山(ごかめやま)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕弘和(こうわ)4年(1384)4月28日元中と改元、元中10年(1392)1月より北朝年号明徳(めいとく)(4年)を用いた
〔出典〕不明、『易経』象(しょう)上伝に「黄裳元吉、文在中也」、「訟元吉以中正也」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕9年南北朝合体

建長(けんちょう)
〔相当西暦年〕1249~1256(鎌倉時代)
〔天皇〕後深草(ごふかくさ)
〔改元理由〕天変、火災による
〔改元年月日〕宝治(ほうじ)3年(1249)3月18日建長と改元、建長8年(1256)10月5日康元(こうげん)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻65段熲(だんけい)伝の「建長久之策」による
〔勘申者〕藤原経光(前権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年引付(ひきつけ)衆を設置 4年宗尊(むねたか)親王将軍となる、『十訓抄(じっきんしょう)』成る 5年日蓮(にちれん)鎌倉で説法、建長寺創建 6年『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』成る

建徳(けんとく)
〔相当西暦年〕1370~1372(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】長慶(ちょうけい)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕正平(しょうへい)25年(1370)7月24日建徳と改元、建徳3年(1372)4月(日不明)文中(ぶんちゅう)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻2の「建至徳以創洪業」による
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年ごろ『太平記』成る

元徳(げんとく)
〔相当西暦年〕1329~1331(鎌倉時代)
〔天皇〕後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕疾疫の流行による
〔改元年月日〕嘉暦(かりゃく)4年(1329)8月29日元徳と改元、元徳3年(1331)8月9日元弘(げんこう)と改む
〔出典〕『易経』の「乾元亨利貞」の正義「元者善之長、謂天之元徳、始生万物」によるという
〔勘申者〕藤原行氏(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年北条茂時(しげとき)連署となる 3年幕府日野俊基(としもと)らを捕らえる

元和(げんな)
〔相当西暦年〕1615~1624(江戸時代)
〔天皇〕後水尾(ごみずのお)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕慶長(けいちょう)20年(1615)7月13日元和と改元、元和10年(1624)2月30日寛永(かんえい)と改む
〔出典〕唐の憲宗のときの年号による
〔勘申者〕菅原為経(権中納言(ごんちゅうなごん)、式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年武家諸法度(しょはっと)制定、禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)(禁中并公家中諸法度)制定 8年元和大殉教 9年徳川家光(いえみつ)将軍となる

建仁(けんにん)
〔相当西暦年〕1201~1204(鎌倉時代)
〔天皇〕土御門(つちみかど)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕正治(しょうじ)3年(1201)2月13日建仁と改元、建仁4年(1204)2月20日元久(げんきゅう)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10の「竭智付賢者、必建仁策」による
〔勘申者〕藤原宗業(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年源頼家(よりいえ)将軍となる、栄西(えいさい)が建仁(けんにん)寺を創建 3年比企能員(ひきよしかず)の乱、源実朝(さねとも)将軍となる

元仁(げんにん)
〔相当西暦年〕1224~1225(鎌倉時代)
〔天皇〕後堀河(ごほりかわ)
〔改元理由〕天変、炎旱(えんかん)による
〔改元年月日〕貞応(じょうおう)3年(1224)11月20日元仁と改元、元仁2年(1225)4月20日嘉禄(かろく)と改む
〔出典〕『易経』乾卦(けんか)の「元亨利貞、正義曰、元則仁也」による
〔勘申者〕菅原為長(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年(~寛元1ころ)親鸞(しんらん)『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を執筆

元文(げんぶん)
〔相当西暦年〕1736~1741(江戸時代)
〔天皇〕桜町(さくらまち)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕享保(きょうほう)21年(1736)4月28日元文と改元、元文6年(1741)2月27日寛保(かんほう)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻3の「武創元基、文集大命、皆体天作制、順時立政」による
〔勘申者〕菅原在秀(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年江戸城中で政治批判を禁止 3年諸国の戸籍調査 4年ロシア船陸奥(むつ)・安房(あわ)沖に出没

建保(けんぽう/けんほう)
〔相当西暦年〕1213~1219(鎌倉時代)
〔天皇〕順徳(じゅんとく)
〔改元理由〕天変、地妖(ちよう)による
〔改元年月日〕建暦(けんりゃく)3年(1213)12月6日建保と改元、建保7年(1219)4月12日承久(じょうきゅう)と改む
〔出典〕『書経』周書・多士の「惟天丕建、保乂有殷」による
〔勘申者〕藤原宗業(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年『金槐(きんかい)和歌集』成る 4年源実朝(さねとも)渡宋(とそう)を計画 7年公暁(くぎょう)が実朝を殺す

建武(けんむ)
〔相当西暦年〕1334~1336(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕擾乱(じょうらん)帰正による
〔改元年月日〕元弘(げんこう)4年(1334)1月29日建武と改元、建武3年(1336)2月29日延元(えんげん)と改む、北朝では建武5年(1338)8月28日暦応(りゃくおう)と改む
〔出典〕後漢(ごかん)の光武帝のときの年号による、『後漢書(ごかんじょ)』巻1光武帝紀に「建元為建武」とある
〔勘申者〕藤原藤範(前民部卿(みんぶきょう))ら
〔当代の主要事件〕元年二条河原落書 2年中先代(なかせんだい)の乱(護良(もりよし)親王殺される)、足利尊氏(あしかがたかうじ)征東将軍となり鎌倉へ下る

建暦(けんりゃく)
〔相当西暦年〕1211~1213(鎌倉時代)
〔天皇〕順徳(じゅんとく)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕承元(じょうげん)5年(1211)3月9日建暦と改元、建暦3年(1213)12月6日建保(けんぽう)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻12律暦志の「建暦之本必先立元」、『宋書(そうじょ)』巻12の「建暦之本、必先立元」による
〔勘申者〕菅原為長(式部大輔(たいふ))、藤原孝範(文章博士(もんじょうはかせ))、藤原資実(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年『方丈記』成る 3年和田義盛(よしもり)の乱

元暦(げんりゃく)
〔相当西暦年〕1184~1185(平安時代)
〔天皇〕後鳥羽(ごとば)(安徳)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕寿永(じゅえい)3年(1184)4月16日元暦と改元、元暦2年(1185)8月14日文治(ぶんじ)と改む
〔出典〕『尚書考霊耀(しょうしょこうれいよう)』の「天地開闢、元暦紀名、月首甲子、冬至」によるという
〔勘申者〕藤原光範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年源頼朝(よりとも)鎌倉に公文所(くもんじょ)・問注所設置 2年壇(だん)ノ浦の合戦、平氏滅亡

元禄(げんろく)
〔相当西暦年〕1688~1704(江戸時代)
〔天皇〕東山(ひがしやま)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕貞享(じょうきょう)5年(1688)9月30日元禄と改元、元禄17年(1704)3月13日宝永(ほうえい)と改む
〔出典〕『宋史(そうし)』巻104の「恵綏黎元、懋建皇極、天禄無疆」による
〔勘申者〕菅原長量(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕7年生類憐(しょうるいあわれ)みの令出る 9年改鋳金銀交換規則を定める 15年赤穂(あこう)浪士が吉良義央(きらよしなか)を討つ

弘安(こうあん)
〔相当西暦年〕1278~1288(鎌倉時代)
〔天皇〕後宇多(ごうだ)、伏見(ふしみ)
〔改元理由〕疾疫の流行による
〔改元年月日〕建治(けんじ)4年(1278)2月29日弘安と改元、弘安11年(1288)4月28日正応(しょうおう)と改む
〔出典〕『太宗実録』の「弘安民之道」によるという
〔勘申者〕藤原茂範(従三位(じゅさんみ))
〔当代の主要事件〕2年『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』成る 4年蒙古(もうこ)襲来(弘安の役) 6年『沙石(しゃせき)集』成る 7年北条貞時(さだとき)執権となる 8年霜月(しもつき)騒動

康安(こうあん)
〔相当西暦年〕1361~1362(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後光厳(ごこうごん)
〔改元理由〕兵革、天変、地妖(ちよう)、疾疫などによる
〔改元年月日〕延文(えんぶん)6年(1361)3月29日康安と改元、康安2年(1362)9月23日貞治(じょうじ)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻28の「作治康凱安之舞」、『史記正義』の「天下衆事咸得康安、以致天下太平」によるという
〔勘申者〕菅原高嗣(勘解由(かげゆ)長官)、菅原長綱(刑部卿(ぎょうぶきょう))
〔当代の主要事件〕元年南軍京都を攻め、足利義詮(あしかがよしあきら)近江(おうみ)へ逃れる 2年北朝の後光厳天皇入京

康永(こうえい)
〔相当西暦年〕1342~1345(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】光明(こうみょう)
〔改元理由〕天変、地妖(ちよう)による
〔改元年月日〕暦応(りゃくおう)5年(1342)4月27日康永と改元、康永4年(1345)10月21日貞和(じょうわ)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』の「海内康平、永保国家」によるという
〔勘申者〕紀行親(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年高師冬(こうのもろふゆ)、常陸(ひたち)から鎌倉に入る 4年国ごとに安国寺利生塔(りしょうとう)を置く

康応(こうおう)
〔相当西暦年〕1389~1390(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後小松(ごこまつ)
〔改元理由〕病事による
〔改元年月日〕嘉慶(かけい)3年(1389)2月9日康応と改元、康応2年(1390)3月26日明徳(めいとく)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻8七啓の「国富民康、神応烋臻、屡獲嘉祥」による
〔勘申者〕菅原秀長(非参議)
〔当代の主要事件〕元年足利義満(あしかがよしみつ)厳島(いつくしま)社に参詣

弘化(こうか)
〔相当西暦年〕1844~1848(江戸時代)
〔天皇〕仁孝(にんこう)、孝明(こうめい)
〔改元理由〕江戸城の火災による
〔改元年月日〕天保(てんぽう)15年(1844)12月2日弘化と改元、弘化5年(1848)2月28日嘉永(かえい)と改む
〔出典〕『書経』周官の「弍公弘化、寅亮天地」による
〔勘申者〕菅原為定(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年オランダ政府の開国の勧めを拒絶、イギリス艦長崎に来航 3年アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル浦賀にくる

康元(こうげん)
〔相当西暦年〕1256~1257(鎌倉時代)
〔天皇〕後深草(ごふかくさ)
〔改元理由〕赤斑瘡の流行による
〔改元年月日〕建長(けんちょう)8年(1256)10月5日康元と改元、康元2年(1257)3月14日正嘉(しょうか)と改む
〔出典〕不明、『隋書(ずいしょ)』巻15に「康哉元首、恵我無疆、天長地久」とある
〔勘申者〕藤原経範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年北条長時(ながとき)執権となる

興国(こうこく)
〔相当西暦年〕1340~1346(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】後村上(ごむらかみ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕延元(えんげん)5年(1340)4月28日興国と改元、興国7年(1346)12月8日正平(しょうへい)と改む
〔出典〕不明、『文選(もんぜん)』巻5諷諫(ふうかん)詩に「興国救顛、孰違悔過」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年高師冬(こうのもろふゆ)常陸(ひたち)国大宝城を攻める 4年関・大宝両城落ちる 5年師冬常陸から鎌倉に入る

弘治(こうじ)
〔相当西暦年〕1555~1558(室町時代)
〔天皇〕後奈良(ごなら)、正親町(おおぎまち)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕天文(てんぶん)24年(1555)10月23日弘治と改元、弘治4年(1558)2月28日永禄(えいろく)と改む
〔出典〕『北斉書』の「祇承宝命、志弘治体」によるという
〔勘申者〕菅原長雅(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕3年毛利元就(もとなり)が大内義長を殺し防長両国を平定

康治(こうじ)
〔相当西暦年〕1142~1144(平安時代)
〔天皇〕近衛(このえ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕永治(えいじ)2年(1142)4月28日康治と改元、康治3年(1144)2月23日天養(てんよう)と改む
〔出典〕『宋書(そうじょ)』の「以康治道」によるという
〔勘申者〕藤原永範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年源為義(ためよし)が藤原頼長(よりなが)に従属

康正(こうしょう)
〔相当西暦年〕1455~1457(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕兵革連綿による
〔改元年月日〕享徳(きょうとく)4年(1455)7月25日康正と改元、康正3年(1457)9月28日長禄(ちょうろく)と改む
〔出典〕『史記』巻38および『書経』洪範(こうはん)の「平康正直」による
〔勘申者〕菅原在治(文章博士(もんじょうはかせ))、菅原益長(行権中納言(こうごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年土一揆(つちいっき)、徳政を要求して日吉(ひえ)社に入る 3年太田資長(すけなが)江戸城を築く

弘長(こうちょう)
〔相当西暦年〕1261~1264(鎌倉時代)
〔天皇〕亀山(かめやま)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕文応(ぶんおう)2年(1261)2月20日弘長と改元、弘長4年(1264)2月28日文永(ぶんえい)と改む
〔出典〕『貞観政要(じょうがんせいよう)』巻3封建の「閼治定之規、以弘長世之業者、万古不易、百慮同帰」によるという
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年日蓮(にちれん)伊豆の伊東に流される 3年日蓮赦免

弘仁(こうにん)
〔相当西暦年〕810~824(平安時代)
〔天皇〕嵯峨(さが)、淳和(じゅんな)
〔改元理由〕嵯峨天皇の即位による
〔改元年月日〕大同(だいどう)5年(810)9月19日弘仁と改元、弘仁15年(824)1月5日天長(てんちょう)と改む
〔出典〕不明
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年俘囚(ふしゅう)計帳をつくる、文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)征夷(せいい)大将軍となり蝦夷(えみし)征討、六衛府(えふ)の成立 5年『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』成る 7年空海が高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)を創設 11年弘仁格式(こうにんきゃくしき)成る

康平(こうへい)
〔相当西暦年〕1058~1065(平安時代)
〔天皇〕後冷泉(ごれいぜい)
〔改元理由〕大極(だいごく)殿、法成(ほうじょう)寺の火災による
〔改元年月日〕天喜(てんき)6年(1058)8月29日康平と改元、康平8年(1065)8月2日治暦(じりゃく)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻64梁統(りょうとう)伝の「文帝寛恵温克、遭世康平」による
〔勘申者〕藤原実範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年一条院内裏(だいり)焼亡、放火頻発により宮城諸門警固 3年『更級(さらしな)日記』成る 5年前九年(ぜんくねん)の役終わる 7年『新猿楽(しんさるがく)記』成る

康保(こうほう)
〔相当西暦年〕964~968(平安時代)
〔天皇〕村上(むらかみ)、冷泉(れいぜい)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令、旱魃(かんばつ)による
〔改元年月日〕応和(おうわ)4年(964)7月10日康保と改元、康保5年(968)8月13日安和(あんな)と改む
〔出典〕『書経』康誥篇(こうこうへん)の「別求聞由古先哲王、用康保民弘于天」による
〔勘申者〕菅原文時(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕4年『延喜式(えんぎしき)』を施行

康暦(こうりゃく)
〔相当西暦年〕1379~1381(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後円融(ごえんゆう)
〔改元理由〕天変、疾疫、兵革による
〔改元年月日〕永和(えいわ)5年(1379)3月22日康暦と改元、康暦3年(1381)2月24日永徳(えいとく)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』の「承成康之暦業」によるという
〔勘申者〕菅原長嗣(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年管領(かんれい)細川頼之(よりゆき)失脚、斯波義将(しばよしまさ)管領となる

弘和(こうわ)
〔相当西暦年〕1381~1384(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】長慶(ちょうけい)、後亀山(ごかめやま)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕天授(てんじゅ)7年(1381)2月10日弘和と改元、弘和4年(1384)4月28日元中(げんちゅう)と改む
〔出典〕不明、『書経』君牙篇(くんがへん)に「弘敷五典、式和民則」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年『新葉和歌集』成る

康和(こうわ)
〔相当西暦年〕1099~1104(平安時代)
〔天皇〕堀河(ほりかわ)
〔改元理由〕地震、疾病による
〔改元年月日〕承徳(じょうとく)3年(1099)8月28日康和と改元、康和6年(1104)2月10日長治(ちょうじ)と改む
〔出典〕『崔寔(さいしょう)政論』の「四海康和、天下同楽」によるという
〔勘申者〕藤原正家(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕3年興福寺衆徒金峯山(きんぶせん)と争う、源義親(よしちか)、鎮西(ちんぜい)で騒動 4年延暦(えんりゃく)寺・興福寺・東大寺衆徒の強訴(ごうそ) 5年京都火災

〔さ行〕
斉衡(さいこう)
〔相当西暦年〕854~857(平安時代)
〔天皇〕文徳(もんとく)
〔改元理由〕石見(いわみ)国から醴泉(れいせん)の瑞(ずい)を献上されたことによる
〔改元年月日〕仁寿(にんじゅ)4年(854)11月30日斉衡と改元、斉衡4年(857)2月21日天安(てんあん)と改む
〔出典〕不明、『周礼(しゅらい)』冬官考工記の注に「豊礼孰君器斉衡」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年『続(しょく)日本後紀』の撰修(せんしゅう)が命じられる 4年「五紀暦」を採用

治安(じあん)
〔相当西暦年〕1021~1024(平安時代)
〔天皇〕後一条(ごいちじょう)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕寛仁(かんにん)5年(1021)2月2日治安と改元、治安4年(1024)7月13日万寿(まんじゅ)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻48賈誼(かぎ)伝の「陛下何不壱令臣得孰数之於前、因陳治安策、試詳択焉」による
〔勘申者〕三善為政
〔当代の主要事件〕2年法成(ほうじょう)寺金堂成る 3年藤原道長が頼通(よりみち)を譴責(けんせき)する

治承(じしょう)
〔相当西暦年〕1177~1181(平安時代)
〔天皇〕高倉(たかくら)、安徳(あんとく)
〔改元理由〕大極(だいごく)殿の火災、天変による
〔改元年月日〕安元(あんげん)3年(1177)8月4日治承と改元、治承5年(1181)7月14日養和(ようわ)と改む
〔出典〕『河図挺佐輔(かとていさほ)』の「治欽文徳、治承天精」による
〔勘申者〕藤原光範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年平清盛(きよもり)が後白河(ごしらかわ)院政を停止し、鳥羽(とば)殿に幽閉、『梁塵(りょうじん)秘抄』成る 4年源頼政(よりまさ)・以仁(もちひと)王挙兵、源頼朝(よりとも)挙兵、源(木曽)義仲(よしなか)挙兵、頼朝侍所(さむらいどころ)を開設

至徳(しとく)
〔相当西暦年〕1384~1387(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後小松(ごこまつ)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕永徳(えいとく)4年(1384)2月27日至徳と改元、至徳4年(1387)8月23日嘉慶(かけい)と改む
〔出典〕『孝経』開宗明義章(めいぎしょう)の「先王有至徳要道、以訓天下、民用和睦、上下亡怨」による
〔勘申者〕藤原資康(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年『新後拾遺(しんごしゅうい)和歌集』成る、倭寇(わこう)が明(みん)の浙東(せっとう)、高麗(こうらい)の諸道を侵掠(しんりゃく) 3年幕府五山の制を定める

寿永(じゅえい)
〔相当西暦年〕1182~1184(平安時代)
〔天皇〕安徳(あんとく)、後鳥羽(ごとば)
〔改元理由〕飢饉(ききん)、兵革、病事による
〔改元年月日〕養和(ようわ)2年(1182)5月27日寿永と改元、寿永3年(1184)4月16日元暦(げんりゃく)と改む、平氏は翌年滅亡するまで寿永を使用
〔出典〕『詩経』周頌載見(しゅうしょうさいけん)篇の「以介眉寿永言保之、思皇多祐」による
〔勘申者〕藤原俊経(勘解由(かげゆ)長官)
〔当代の主要事件〕2年平氏西走、源(木曽)義仲入京 3年義仲敗死、一ノ谷の戦い

朱鳥(しゅちょう/あかみどり)
〔相当西暦年〕686(飛鳥(あすか)時代)
〔天皇〕天武(てんむ)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕天武天皇15年(686)7月20日朱鳥と改元、朱鳥元年9月9日天武天皇の崩後使用停止
〔出典〕不明、『礼記(らいき)』曲礼に「行前朱鳥而後玄武、左青龍而右白虎」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕宮号を飛鳥浄御原(あすかきよみはら)宮と定む

正安(しょうあん)
〔相当西暦年〕1299~1302(鎌倉時代)
〔天皇〕後伏見(ごふしみ)、後二条(ごにじょう)
〔改元理由〕後伏見天皇の即位による
〔改元年月日〕永仁7年(1299)4月25日正安と改元、正安4年(1302)11月21日乾元(けんげん)と改む
〔出典〕『周書』の「居正安其身」によるという
〔勘申者〕菅原在嗣(正(しょう)二位)
〔当代の主要事件〕元年『一遍上人(いっぺんしょうにん)絵伝』成る 3年北条師時(もろとき)執権となる

承安(しょうあん)
〔相当西暦年〕1171~1175(平安時代)
〔天皇〕高倉(たかくら)
〔改元理由〕災変、厄会による
〔改元年月日〕嘉応(かおう)3年(1171)4月21日承安と改元、承安5年(1175)7月28日安元(あんげん)と改む
〔出典〕『書経』洛誥(らくこう)の「王命予来、承安汝文祖徳」の正義「承文王之意、安定此民也」による
〔勘申者〕藤原資長(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年藤原基房(もとふさ)関白となる 3年法皇が平清盛(きよもり)に宋(そう)への返書を命ず、清盛兵庫島を築く

貞永(じょうえい/ていえい)
〔相当西暦年〕1232~1233(鎌倉時代)
〔天皇〕後堀河(ごほりかわ)、四条(しじょう)
〔改元理由〕天変、地妖(ちよう)、飢饉(ききん)による
〔改元年月日〕寛喜(かんき)4年(1232)4月2日貞永と改元、貞永2年(1233)4月15日天福(てんぷく)と改む
〔出典〕『易経』坤卦(こんか)の注疏(ちゅうそ)「利在永貞、永長也、貞正也、言能貞正也」による
〔勘申者〕菅原為長(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年御成敗式目(ごせいばいしきもく)を制定 2年京都に猿楽(さるがく)流行

正応(しょうおう)
〔相当西暦年〕1288~1293(鎌倉時代)
〔天皇〕伏見(ふしみ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕弘安(こうあん)11年(1288)4月28日正応と改元、正応6年(1293)8月5日永仁(えいにん)と改む
〔出典〕『毛詩(もうし)注』の「徳正応利」によるという
〔勘申者〕菅原在嗣(大蔵卿(おおくらきょう))
〔当代の主要事件〕2年久明(ひさあき)親王将軍となる 6年鎮西(ちんぜい)探題を置く

承応(じょうおう/しょうおう)
〔相当西暦年〕1652~1655(江戸時代)
〔天皇〕後光明(ごこうみょう)、後西(ごさい)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕慶安(けいあん)5年(1652)9月18日承応と改元、承応4年(1655)4月13日明暦(めいれき)と改む
〔出典〕『晋書(しんじょ)』巻17律歴志の「夏殷承運、周氏応期」による
〔勘申者〕菅原知長(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年承応事件、江戸市中浪人調査 2年佐倉惣五郎一揆(さくらそうごろういっき)起こる 3年キリシタン禁制の高札を立てる、玉川上水完成

貞応(じょうおう)
〔相当西暦年〕1222~1224(鎌倉時代)
〔天皇〕後堀河(ごほりかわ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕承久(じょうきゅう)4年(1222)4月13日貞応と改元、貞応3年(1224)11月20日元仁(げんにん)と改む
〔出典〕『易経』彖(たん)下の「中孚以利貞、乃応乎天也」による
〔勘申者〕菅原為長(大蔵卿(おおくらきょう)・式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年守護・地頭制を強化 2年新補地頭の不法をただす、道元入宋(にっそう)、新補地頭の得分率法を定める 3年北条泰時(やすとき)執権となる、北条時房(ときふさ)連署となり連署制始まる

正嘉(しょうか)
〔相当西暦年〕1257~1259(鎌倉時代)
〔天皇〕後深草(ごふかくさ)
〔改元理由〕太政官(だいじょうかん)庁・五条殿の焼失による
〔改元年月日〕康元(こうげん)2年(1257)3月14日正嘉と改元、正嘉3年(1259)3月26日正元(しょうげん)と改む
〔出典〕『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』巻4の「肇元正之嘉会」による
〔勘申者〕菅原在章(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年園城(おんじょう)寺衆徒強訴(ごうそ) 2年諸国に群盗起こる 3年山野河海の領有法を定む

貞観(じょうがん)
〔相当西暦年〕859~877(平安時代)
〔天皇〕清和(せいわ)、陽成(ようぜい)
〔改元理由〕清和天皇の即位による
〔改元年月日〕天安(てんあん)3年(859)4月15日貞観と改元、貞観19年(877)4月16日元慶(がんぎょう)と改む
〔出典〕『易経』繋辞(けいじ)の「天地之道、貞観者也」による
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕8年応天門の変 11年貞観格(じょうがんきゃく)成る、『続(しょく)日本後紀』成る 13年越前(えちぜん)国の百姓が国司弘宗(ひろむね)王の苛政(かせい)を訴える

承久(じょうきゅう/しょうきゅう)
〔相当西暦年〕1219~1222(鎌倉時代)
〔天皇〕順徳(じゅんとく)、仲恭(ちゅうきょう)、後堀河(ごほりかわ)
〔改元理由〕天変、旱害(かんがい)、三合後年厄による
〔改元年月日〕建保(けんぽう)7年(1219)4月12日承久と改元、承久4年(1222)4月13日貞応(じょうおう)と改む
〔出典〕『詩緯(しい)』の「周起自后稷、歴世相承久」によるという
〔勘申者〕菅原為長(大蔵卿(おおくらきょう))
〔当代の主要事件〕2年『愚管抄(ぐかんしょう)』成る 3年承久の乱起こる、幕府軍入京、六波羅(ろくはら)探題を置く

貞享(じょうきょう)
〔相当西暦年〕1684~1688(江戸時代)
〔天皇〕霊元(れいげん)、東山(ひがしやま)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕天和(てんな)4年(1684)2月21日貞享と改元、貞享5年(1688)9月30日元禄(げんろく)と改む
〔出典〕『易経』益卦(えきか)の「永貞吉、王用享于帝吉」による
〔勘申者〕菅原恒長(正二位)
〔当代の主要事件〕元年江戸市中に出版取締令公布、大老堀田正俊(まさとし)江戸城内にて刺殺される、新暦(貞享暦)を用いる 4年生類憐(しょうるいあわれ)みの令出す

正慶(しょうけい/しょうきょう)
〔相当西暦年〕1332~1333(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】光厳(こうごん)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕元弘(げんこう)2年(1332)4月28日正慶と改元、正慶2年(1333)5月廃止(元弘3年に復す)
〔出典〕『易経』益卦(えきか)の注「以中正有慶之徳、有攸往也、何適而不利哉」による
〔勘申者〕菅原公時(大蔵卿(おおくらきょう))、菅原長員(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年護良(もりよし)親王吉野に挙兵 2年六波羅(ろくはら)探題陥る、後醍醐(ごだいご)天皇帰京、光厳天皇下の関白以下を解官

正元(しょうげん)
〔相当西暦年〕1259~1260(鎌倉時代)
〔天皇〕後深草(ごふかくさ)、亀山(かめやま)
〔改元理由〕飢饉(ききん)、疾疫による
〔改元年月日〕正嘉(しょうか)3年(1259)3月26日正元と改元、正元2年(1260)4月13日文応(ぶんおう)と改む
〔出典〕『詩緯(しい)』の「一如正元、万載相伝」によるという
〔勘申者〕菅原公良(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年諸国に飢饉、疾病、餓死者多し

承元(じょうげん)
〔相当西暦年〕1207~1211(鎌倉時代)
〔天皇〕土御門(つちみかど)、順徳(じゅんとく)
〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)の流行、洪水による
〔改元年月日〕建永(けんえい)2年(1207)10月25日承元と改元、承元5年(1211)3月9日建暦(けんりゃく)と改む
〔出典〕『通典』巻55の「古者祭以酉時、薦以仲月、近代相承、元日奏祥瑞」による
〔勘申者〕藤原資実(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年幕府問注所(もんちゅうじょ)焼失 4年武蔵(むさし)国大田文(おおたぶみ)成る

貞元(じょうげん)
〔相当西暦年〕976~978(平安時代)
〔天皇〕円融(えんゆう)
〔改元理由〕火災、地震による
〔改元年月日〕天延(てんえん)4年(976)7月13日貞元と改元、貞元3年(978)11月29日天元(てんげん)と改む
〔出典〕不明、『文選(もんぜん)』巻3思玄賦(しげんのふ)に「乃貞吉之元符」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年摂関家の内訌(ないこう)、藤原頼忠(よりただ)関白となる 3年備前(びぜん)介橘時望(たちばなときもち)海賊に殺される

正治(しょうじ)
〔相当西暦年〕1199~1201(鎌倉時代)
〔天皇〕土御門(つちみかど)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕建久(けんきゅう)10年(1199)4月27日正治と改元、正治3年(1201)2月13日建仁(けんにん)と改む
〔出典〕『荘子(そうじ)』雑篇・漁父の「天子、諸侯、大夫、庶人、此四者自正、治之美也」による
〔勘申者〕菅原在茂(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年東大寺南大門成る 2年念仏宗を禁止

貞治(じょうじ)
〔相当西暦年〕1362~1368(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後光厳(ごこうごん)
〔改元理由〕兵革、天変、地震、疫病の流行による
〔改元年月日〕康安(こうあん)2年(1362)9月23日貞治と改元、貞治7年(1368)2月18日応安(おうあん)と改む
〔出典〕『易経』象(しょう)下の「利武人之貞、志治也」による
〔勘申者〕藤原忠光(左大弁)
〔当代の主要事件〕2年上杉憲顕(のりあき)関東管領(かんれい)となる、大内弘世(ひろよ)・山名時氏(ときうじ)が幕府に降伏 3年倭寇(わこう)が高麗(こうらい)をしばしば侵す 6年細川頼之(よりゆき)幕府執事となる

昌泰(しょうたい)
〔相当西暦年〕898~901(平安時代)
〔天皇〕醍醐(だいご)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕寛平(かんぴょう)10年(898)4月26日昌泰と改元、昌泰4年(901)7月15日延喜(えんぎ)と改む
〔出典〕不明、『旧唐書(くとうじょ)』巻30に「営営聖祖興、赫赫昌基泰」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年相模(さがみ)国足柄(あしがら)・上野(こうずけ)国碓氷(うすい)の関を置く 3年三善清行(みよしきよゆき)革命勘文(かんもん)を奏上 4年菅原道真(すがわらのみちざね)左遷

正中(しょうちゅう)
〔相当西暦年〕1324~1326(鎌倉時代)
〔天皇〕後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕元亨(げんこう)4年(1324)12月9日正中と改元、正中3年(1326)4月26日嘉暦(かりゃく)と改む
〔出典〕『易経』文言伝の「見龍在田利見大人、何謂也、子曰、龍徳而正中者也、又曰、需有孚、元亨、貞吉位乎天位、以正中也」による
〔勘申者〕藤原有正(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年建長寺船を元(げん)に遣わす、『続後拾遺(しょくごしゅうい)和歌集』成る

正長(しょうちょう)
〔相当西暦年〕1428~1429(室町時代)
〔天皇〕称光(しょうこう)、後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕応永(おうえい)35年(1428)4月27日正長と改元、正長2年(1429)9月5日永享(えいきょう)と改む
〔出典〕『礼記(らいき)正義』の「在位之君子、威儀不差忒、可以正長是四方之国」による
〔勘申者〕菅原在直(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年正長の土一揆(つちいっき)起こる 2年足利義教(あしかがよしのり)将軍となる

正徳(しょうとく)
〔相当西暦年〕1711~1716(江戸時代)
〔天皇〕中御門(なかみかど)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕宝永(ほうえい)8年(1711)4月25日正徳と改元、正徳6年(1716)6月22日享保(きょうほう)と改む
〔出典〕『書経』大禹謨(たいうぼ)の「正徳利用、厚生惟和」によるという
〔勘申者〕菅原総長(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年徳川家継(いえつぐ)将軍となる 5年長崎貿易の正徳新令出る 6年間部詮房(まなべあきふさ)・新井白石(あらいはくせき)ら罷免

承徳(じょうとく/しょうとく)
〔相当西暦年〕1097~1099(平安時代)
〔天皇〕堀河(ほりかわ)
〔改元理由〕天変、地震による
〔改元年月日〕永長(えいちょう)2年(1097)11月21日承徳と改元、承徳3年(1099)8月28日康和(こうわ)と改む
〔出典〕『易経』蠱卦(こか)の「幹父之蠱、用誉承以徳也」によるという
〔勘申者〕藤原敦基(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年平正盛(まさもり)私領を六条院に寄進 2年源義家(よしいえ)に院昇殿を許す 3年仁和寺宮覚行(にんなじのみやかくぎょう)を親王とする(法親王の初例)

正平(しょうへい)
〔相当西暦年〕1346~1370(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】後村上(ごむらかみ)、長慶(ちょうけい)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕興国(こうこく)7年(1346)12月8日正平と改元、正平25年(1370)7月24日建徳(けんとく)と改む
〔出典〕不明、『宋書(そうじょ)』巻29に「華平其枝正平、王者有徳則生」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年楠木正行(くすのきまさつら)敗死 6年足利尊氏(あしかがたかうじ)・義詮(よしあきら)父子南朝に降伏 19年『新拾遺(しんしゅうい)和歌集』成る

承平(じょうへい/しょうへい)
〔相当西暦年〕931~938(平安時代)
〔天皇〕朱雀(すざく)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕延長(えんちょう)9年(931)4月26日承平と改元、承平8年(938)5月22日天慶(てんぎょう)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻24食貨志の「今累世承平、豪富吏民、訾数鉅万」による
〔勘申者〕大江維時(文章博士(もんじょうはかせ))、大江朝綱(大内記)
〔当代の主要事件〕3年南海諸国に警固使を置く 5年平将門(まさかど)の乱起こる、『土佐日記』成る 7年高麗(こうらい)との交渉始まる

正保(しょうほう)
〔相当西暦年〕1644~1648(江戸時代)
〔天皇〕後光明(ごこうみょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕寛永(かんえい)21年(1644)12月16日正保と改元、正保5年(1648)2月15日慶安(けいあん)と改む
〔出典〕『尚書正義』の「正保衡、佐我烈祖格于皇天」による
〔勘申者〕菅原知長(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年郷村高帳・国郡諸城図を作成させる 2年赤穂(あこう)藩塩田開発を始める 4年ポルトガル船長崎に来航、通商を求めたが、幕府拒絶

承保(じょうほう/しょうほう)
〔相当西暦年〕1074~1077(平安時代)
〔天皇〕白河(しらかわ)
〔改元理由〕即位、三合厄による
〔改元年月日〕延久(えんきゅう)6年(1074)8月23日承保と改元、承保4年(1077)11月17日承暦(じょうりゃく)と改む
〔出典〕『書経』周書・洛誥(らくこう)の「承保乃文祖受命民」による
〔勘申者〕藤原正家(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年藤原師実(もろざね)関白となる 3年石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に行幸

正暦(しょうりゃく)
〔相当西暦年〕990~995(平安時代)
〔天皇〕一条(いちじょう)
〔改元理由〕大風、天変による
〔改元年月日〕永祚(えいそ)2年(990)11月7日正暦と改元、正暦6年(995)2月22日長徳(ちょうとく)と改む
〔出典〕不明、『史記』巻26に「新垣平以望気見、頗言正暦服色事」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕4年藤原道隆(みちたか)摂政(せっしょう)を退く、菅原道真(すがわらのみちざね)に太政(だいじょう)大臣を追贈する

承暦(じょうりゃく/しょうりゃく)
〔相当西暦年〕1077~1081(平安時代)
〔天皇〕白河(しらかわ)
〔改元理由〕旱魃(かんばつ)、疱瘡(ほうそう)の流行による
〔改元年月日〕承保(じょうほう)4年(1077)11月17日承暦と改元、承暦5年(1081)2月10日永保(えいほう)と改む
〔出典〕『維城典訓』の「聖人者以懿徳永承暦、崇高則天、博厚儀地」によるという
〔勘申者〕藤原実綱(式部大輔(たいふ))、藤原正家(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年石山寺焼失 3年京都大火、源重宗が源国房と戦う

正和(しょうわ)
〔相当西暦年〕1312~1317(鎌倉時代)
〔天皇〕花園(はなぞの)
〔改元理由〕天変、地震による
〔改元年月日〕応長(おうちょう)2年(1312)3月20日正和と改元、正和6年(1317)2月3日文保(ぶんぽう)と改む
〔出典〕『唐紀』の「皇帝受朝奏正和」によるという
〔勘申者〕菅原在輔(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年『玉葉(ぎょくよう)和歌集』成る 3年幕府大和(やまと)に地頭を置く 4年北条基時(もととき)執権となる、京極為兼(きょうごくためかね)土佐に配流

昭和(しょうわ)
〔相当西暦年〕1926~1989(昭和時代)
〔天皇〕昭和
〔改元理由〕大正天皇の崩御、裕仁(ひろひと)親王の践祚(せんそ)による
〔改元年月日〕大正15年(1926)12月25日昭和と改元、昭和64年(1989)1月8日平成(へいせい)と改む
〔出典〕『書経』堯典の「百姓昭明、協和万邦」、『史記』五帝本紀の「百姓昭明、合和万国」による
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年金融恐慌始まる 6年満州事変 8年国際連盟より脱退 12年日中戦争開始 16年太平洋戦争開始 20年広島・長崎に原子爆弾投下される、ポツダム宣言受諾 22年日本国憲法施行 39年東京オリンピック

承和(じょうわ/しょうわ)
〔相当西暦年〕834~848(平安時代)
〔天皇〕仁明(にんみょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕天長(てんちょう)11年(834)1月3日承和と改元、承和15年(848)6月13日嘉祥(かしょう)と改む
〔出典〕不明、『白虎通(びゃっこつう)』巻3に「王者承統理、調和陰陽」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年検非違使(けびいし)別当を新設、『令義解(りょうのぎげ)』を施行 4年奥羽百姓騒乱 8年『日本後紀』成る 9年承和の変 10年文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)謀反 14年円仁(えんにん)帰国

貞和(じょうわ/ていわ)
〔相当西暦年〕1345~1350(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】光明(こうみょう)、崇光(すこう)
〔改元理由〕天変、水害、疾疫による
〔改元年月日〕康永(こうえい)4年(1345)10月21日貞和と改元、貞和6年(1350)2月27日観応(かんのう)と改む
〔出典〕『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』帝王部の「体乾霊之休徳、稟貞和之純精」による
〔勘申者〕菅原在成(勘解由(かげゆ)長官)
〔当代の主要事件〕2年『風雅和歌集』成る 4年楠木正行(くすのきまさつら)敗死、吉野行宮(あんぐう)陥る 5年高師世(こうのもろよ)幕府執事となる、高師直(もろなお)幕府執事となる、足利基氏(あしかがもとうじ)鎌倉公方(くぼう)となる

治暦(じりゃく)
〔相当西暦年〕1065~1069(平安時代)
〔天皇〕後冷泉(ごれいぜい)、後三条(ごさんじょう)
〔改元理由〕旱魃(かんばつ)、三合厄による
〔改元年月日〕康平(こうへい)8年(1065)8月2日治暦と改元、治暦5年(1069)4月13日延久(えんきゅう)と改む
〔出典〕『尚書正義』の「君子以治暦明時、然則改正治暦自武王始矣」による
〔勘申者〕藤原実綱(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年新立荘園(しょうえん)を禁止(治暦の荘園整理令) 3年日吉(ひえ)社焼失 4年二条内裏(だいり)焼亡 5年新立荘園をふたたび禁止

神亀(じんき)
〔相当西暦年〕724~729(奈良時代)
〔天皇〕聖武(しょうむ)
〔改元理由〕白亀を献上された祥瑞(しょうずい)による
〔改元年月日〕養老(ようろう)8年(724)2月4日神亀と改元、神亀6年(729)8月5日天平(てんぴょう)と改む
〔出典〕不明、『大戴礼(だたいれい)』巻13に「有甲之蟲三百六十、而神亀為之長」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年多賀(たが)城を築く 4年渤海(ぼっかい)使入京 5年諸国に「金光明(こんこうみょう)経」を頒布(はんぷ) 6年長屋王の変

神護景雲(じんごけいうん)
〔相当西暦年〕767~770(奈良時代)
〔天皇〕称徳(しょうとく)
〔改元理由〕慶雲の祥瑞(しょうずい)による
〔改元年月日〕天平神護(てんぴょうじんご)3年(767)8月16日神護景雲と改元、神護景雲4年(770)10月1日宝亀(ほうき)と改む
〔出典〕不明
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年春日(かすが)社成る 3年和気清麻呂(わけのきよまろ)宇佐八幡(はちまん)の神託を奏上する 4年道鏡下野(しもつけ)薬師寺別当に左遷

〔た行〕
大永(たいえい/だいえい)
〔相当西暦年〕1521~1528(室町時代)
〔天皇〕後柏原(ごかしわばら)、後奈良(ごなら)
〔改元理由〕兵革、天変による
〔改元年月日〕永正(えいしょう)18年(1521)8月23日大永と改元、大永8年(1528)8月20日享禄(きょうろく)と改む
〔出典〕『杜氏(とし)通典』の「庶務至微、至密、其大則以永業」によるという
〔勘申者〕菅原為学(参議)
〔当代の主要事件〕元年足利義晴(あしかがよしはる)将軍となる 3年毛利元就(もとなり)家を継ぐ 6年今川氏親(うじちか)家法「仮名目録(かなもくろく)」を制定

大化(たいか)
〔相当西暦年〕645~650(飛鳥(あすか)時代)
〔天皇〕孝徳(こうとく)
〔改元理由〕天下安寧、政化敷行による
〔改元年月日〕孝徳天皇4年(645)6月19日大化と改元、大化6年(650)2月15日白雉(はくち)と改む
〔出典〕不明、『漢書(かんじょ)』巻56に「古者修教訓之官務以徳善化民、已大化之後天下常亡一人之獄矣」、『宋書(そうじょ)』巻20に「神武鷹揚、大化咸煕」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年東国などの国司に戸籍の作成、田の調査を命じる、難波(なにわ)京に移る 2年大化改新の詔、薄葬令

大治(だいじ)
〔相当西暦年〕1126~1131(平安時代)
〔天皇〕崇徳(すとく)
〔改元理由〕疱瘡(ほうそう)の流行による
〔改元年月日〕天治(てんじ)3年(1126)1月22日大治と改元、大治6年(1131)1月29日天承(てんしょう)と改む
〔出典〕『河図挺佐輔(かとていさほ)』の「黄帝修徳立義、天下大治」による
〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年寛徳(かんとく)以後新立の荘園(しょうえん)停止を再令し、公民の荘園流入を禁止、『金葉和歌集』成る 4年鳥羽(とば)院政始まる

大正(たいしょう)
〔相当西暦年〕1912~1926(大正時代)
〔天皇〕大正
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕明治(めいじ)45年(1912)7月30日大正と改元、大正15年(1926)12月25日昭和(しょうわ)と改む
〔出典〕『易経』臨卦(りんか)、彖(たん)伝の「大亨以正、天之命也」などによる
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年憲政擁護運動おこる 2年大正政変 3年シーメンス事件、対独宣戦布告 4年対華二十一か条要求 6年シベリア出兵宣言、米騒動勃発(ぼっぱつ)、原敬(たかし)内閣成立 12年関東大震災 14年治安維持法公布、普通選挙法公布

大同(だいどう)
〔相当西暦年〕806~810(平安時代)
〔天皇〕平城(へいぜい)、嵯峨(さが)
〔改元理由〕平城天皇の即位による
〔改元年月日〕延暦(えんりゃく)25年(806)5月18日大同と改元、大同5年(810)9月19日弘仁(こうにん)と改む
〔出典〕不明、『書経』洪範に「汝則従、亀従筮従、卿士従、庶民従、是之謂大同」、『礼記(らいき)』礼運に「是故謀閉而不興、盗竊乱賊而不作、故外戸而不閉、是謂大同」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年空海帰朝 2年『古語拾遺(しゅうい)』成る 5年蔵人(くろうど)所を新設、薬子(くすこ)の乱

大宝(たいほう/だいほう)
〔相当西暦年〕701~704(飛鳥(あすか)時代)
〔天皇〕文武(もんむ)
〔改元理由〕対馬(つしま)国から金が献上されたことによる
〔改元年月日〕文武天皇5年(701)3月21日大宝と改元、大宝4年(704)5月10日慶雲(きょううん)と改む
〔出典〕不明、『易経』繋辞(けいじ)下に「天地之大徳曰生、聖人之大宝曰位」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年大宝律令(りつりょう)を撰定(せんてい) 2年大宝律令を施行、諸国に度量器を頒布(はんぷ)、遣唐使粟田真人(あわたのまひと)・高橋笠間(かさま)らを派遣

長寛(ちょうかん)
〔相当西暦年〕1163~1165(平安時代)
〔天皇〕二条(にじょう)
〔改元理由〕天変、疱瘡(ほうそう)による
〔改元年月日〕応保(おうほう)3年(1163)3月29日長寛と改元、長寛3年(1165)6月5日永万(えいまん)と改む
〔出典〕『維城典訓』の「長之寛之、施其功博矣」によるという
〔勘申者〕藤原範兼(刑部卿(ぎょうぶきょう))
〔当代の主要事件〕元年伊勢(いせ)神宮・熊野権現(ごんげん)につき長寛勘文出さる、延暦(えんりゃく)寺僧徒が園城(おんじょう)寺を焼く 2年平清盛(きよもり)蓮華王(れんげおう)院(三十三間堂)を造進

長久(ちょうきゅう)
〔相当西暦年〕1040~1044(平安時代)
〔天皇〕後朱雀(ごすざく)
〔改元理由〕災変、内裏(だいり)焼失による
〔改元年月日〕長暦(ちょうりゃく)4年(1040)11月10日長久と改元、長久5年(1044)11月24日寛徳(かんとく)と改む
〔出典〕『老子』第7章の「天長地久」による
〔勘申者〕大江挙周(式部権大輔(ごんのたいふ))、藤原資業(式部大輔)
〔当代の主要事件〕3年内裏焼亡

長享(ちょうきょう)
〔相当西暦年〕1487~1489(室町時代)
〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)
〔改元理由〕外宮炎上、疫疾、兵革による
〔改元年月日〕文明(ぶんめい)19年(1487)7月20日長享と改元、長享3年(1489)8月21日延徳(えんとく)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻9の「喜得全功、長享其福」による
〔勘申者〕菅原在数(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年細川政元(まさもと)管領(かんれい)となる、加賀に一向一揆(いっこういっき)起こる 2年富樫政親(とがしまさちか)敗死

長元(ちょうげん)
〔相当西暦年〕1028~1037(平安時代)
〔天皇〕後一条(ごいちじょう)、後朱雀(ごすざく)
〔改元理由〕疫病、炎旱(えんかん)による
〔改元年月日〕万寿(まんじゅ)5年(1028)7月25日長元と改元、長元10年(1037)4月21日長暦(ちょうりゃく)と改む
〔出典〕『太公六韜(りくとう)』の「天之為天、元為天長矣、地久矣、長久在其元、万物在其間、各得自利、謂之泰平」によるという
〔勘申者〕三善為政(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕8年延暦(えんりゃく)寺・園城(おんじょう)寺僧徒の闘争始まる 9年近江(おうみ)の百姓ら国司を訴う

長治(ちょうじ)
〔相当西暦年〕1104~1106(平安時代)
〔天皇〕堀河(ほりかわ)
〔改元理由〕天変による
〔改元年月日〕康和(こうわ)6年(1104)2月10日長治と改元、長治3年(1106)4月9日嘉承(かしょう)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻48賈誼(かぎ)伝の「建久安之勢、成長治之業」による
〔勘申者〕菅原在良(文章博士(もんじょうはかせ))、藤原俊信(文章博士)
〔当代の主要事件〕元年石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)寺衆徒の強訴、延暦(えんりゃく)寺・園城(おんじょう)寺の闘争激化 2年藤原忠実(ただざね)関白となる

長承(ちょうしょう)
〔相当西暦年〕1132~1135(平安時代)
〔天皇〕崇徳(すとく)
〔改元理由〕疾疫、怪異による
〔改元年月日〕天承(てんしょう)2年(1132)8月11日長承と改元、長承4年(1135)4月27日保延(ほうえん)と改む
〔出典〕『史記』巻6の「長承聖治、群臣嘉徳」による
〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年上皇高野山(こうやさん)に参詣(さんけい) 2年平忠盛(ただもり)宋(そう)商船の貨物を没収

長徳(ちょうとく)
〔相当西暦年〕995~999(平安時代)
〔天皇〕一条(いちじょう)
〔改元理由〕疾疫、天変による
〔改元年月日〕正暦(しょうりゃく)6年(995)2月22日長徳と改元、長徳5年(999)1月13日長保(ちょうほう)と改む
〔出典〕揚雄(ようゆう)の文「唐虞長徳、而四海永懐」によるという
〔勘申者〕大江維時(中納言(ちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年藤原道長(みちなが)と藤原伊周(これちか)論争 3年南蛮人壱岐(いき)・対馬(つしま)に乱入

長保(ちょうほう)
〔相当西暦年〕999~1004(平安時代)
〔天皇〕一条(いちじょう)
〔改元理由〕天変、炎旱(えんかん)による
〔改元年月日〕長徳(ちょうとく)5年(999)1月13日長保と改元、長保6年(1004)7月20日寛弘(かんこう)と改む
〔出典〕『国語』周語の「若本固而功成、施徧而民阜、乃可以長保民矣」による
〔勘申者〕大江匡衡
〔当代の主要事件〕元年淡路(あわじ)の百姓が国守を訴え解任させる、藤原道長(みちなが)の女彰子(しょうし)入内 4年『政事要略』成る 5年宇佐宮神人(じにん)が権帥(ごんのそつ)平惟仲(これなか)を訴える

長暦(ちょうりゃく)
〔相当西暦年〕1037~1040(平安時代)
〔天皇〕後朱雀(ごすざく)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕長元(ちょうげん)10年(1037)4月21日長暦と改元、長暦4年(1040)11月10日長久(ちょうきゅう)と改む
〔出典〕不明、『晋書(しんじょ)』巻34杜預(どよ)伝に「作盟会図・春秋長暦、備成一家之学」とある
〔勘申者〕藤原義忠(大学頭(かみ))
〔当代の主要事件〕2年延暦(えんりゃく)寺僧強訴 4年荘園(しょうえん)停止令

長禄(ちょうろく)
〔相当西暦年〕1457~1460(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕病患、炎旱(えんかん)による
〔改元年月日〕康正(こうしょう)3年(1457)9月28日長禄と改元、長禄4年(1460)12月21日寛正(かんしょう)と改む
〔出典〕『韓非子(かんぴし)』巻6解老の「其建生也長、持禄也久」による
〔勘申者〕菅原継長(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年足利義政(あしかがよしまさ)が弟政知(まさとも)を伊豆堀越に派遣 3年京都七口に新関を設置

長和(ちょうわ)
〔相当西暦年〕1012~1017(平安時代)
〔天皇〕三条(さんじょう)、後一条(ごいちじょう)
〔改元理由〕三条天皇の即位による
〔改元年月日〕寛弘(かんこう)9年(1012)12月25日長和と改元、長和6年(1017)4月23日寛仁(かんにん)と改む
〔出典〕『礼記(らいき)』冠義の「君臣正、父子親、長幼和、而后礼義立」による
〔勘申者〕菅原宣義(文章博士(もんじょうはかせ))、大江通直(文章博士)
〔当代の主要事件〕5年藤原道長摂政(せっしょう)となる、京都大火 6年藤原頼通(よりみち)摂政となる

天安(てんあん/てんなん)
〔相当西暦年〕857~859(平安時代)
〔天皇〕文徳(もんとく)、清和(せいわ)
〔改元理由〕美作(みまさか)・常陸(ひたち)両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞(しょうずい)による
〔改元年月日〕斉衡(さいこう)4年(857)2月21日天安と改元、天安3年(859)4月15日貞観(じょうがん)と改む
〔出典〕不明、『礼記(らいき)』郷飲酒義に「此五行者足以正身安国矣、彼国安而天下安」、『史記』巻4に「天下安寧」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年円珍(えんちん)帰国、藤原良房(よしふさ)万機を摂行(せっこう)

天永(てんえい)
〔相当西暦年〕1110~1113(平安時代)
〔天皇〕鳥羽(とば)
〔改元理由〕彗星(すいせい)の出現による
〔改元年月日〕天仁(てんにん)3年(1110)7月13日天永と改元、天永4年(1113)7月13日永久(えいきゅう)と改む
〔出典〕『書経』召誥(しょうこう)の「欲王以小民受天永命」による
〔勘申者〕大江匡房
〔当代の主要事件〕2年荘園(しょうえん)記録所事始

天延(てんえん)
〔相当西暦年〕973~976(平安時代)
〔天皇〕円融(えんゆう)
〔改元理由〕天変、地震による
〔改元年月日〕天禄(てんろく)4年(973)12月20日天延と改元、天延4年(976)7月13日貞元(じょうげん)と改む
〔出典〕不明、『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』巻13に「志所存皇雖殪没天禄永延」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年尾張(おわり)国百姓の訴えで国守交代 3年検牧使を諸国に派遣し牧馬を調査

天応(てんおう/てんのう)
〔相当西暦年〕781~782(奈良時代)
〔天皇〕光仁(こうにん)、桓武(かんむ)
〔改元理由〕美雲の祥瑞(しょうずい)による
〔改元年月日〕宝亀(ほうき)12年(781)1月1日天応と改元、天応2年(782)8月19日延暦(えんりゃく)と改む
〔出典〕不明、『易経』彖(たん)下伝に「湯武革命順乎天、而応乎人、革之時大矣哉」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年氷上川継(ひかみのかわつぐ)謀反、二省二司を廃止する

天喜(てんき/てんぎ)
〔相当西暦年〕1053~1058(平安時代)
〔天皇〕後冷泉(ごれいぜい)
〔改元理由〕天変、怪異による
〔改元年月日〕永承(えいしょう)8年(1053)1月11日天喜と改元、天喜6年(1058)8月29日康平(こうへい)と改む
〔出典〕『抱朴子(ほうぼくし)』の「人主有道、則嘉祥並臻、此則天喜也」によるという
〔勘申者〕平定親(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年平等院阿彌陀(あみだ)堂成る 3年寛徳(かんとく)2年以後の新立荘園(しょうえん)を停止 4年源頼義(よりよし)陸奥守(むつのかみ)征夷(せいい)大将軍 6年『更級(さらしな)日記』成る

天慶(てんぎょう/てんきょう)
〔相当西暦年〕938~947(平安時代)
〔天皇〕朱雀(すざく)、村上(むらかみ)
〔改元理由〕厄運、地震、御慎による
〔改元年月日〕承平(じょうへい)8年(938)5月22日天慶と改元、天慶10年(947)4月22日天暦(てんりゃく)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻58児寛(げいかん)伝の「金声而玉振之、以順成天慶、垂万世之基」による
〔勘申者〕大江朝綱(文章博士(もんじょうはかせ))、大江維時(式部少輔(しょう))
〔当代の主要事件〕2年出羽(でわ)俘囚(ふしゅう)の乱、平将門(まさかど)新皇と自称、藤原純友(すみとも)の乱 3年平将門・興世(おきよ)王ら藤原秀郷(ひでさと)らに敗北、『将門(しょうもん)記』成る 4年藤原純友敗北

天元(てんげん)
〔相当西暦年〕978~983(平安時代)
〔天皇〕円融(えんゆう)
〔改元理由〕災変、陽五厄による
〔改元年月日〕貞元(じょうげん)3年(978)11月29日天元と改元、天元6年(983)4月15日永観(えいかん)と改む
〔出典〕不明、『史記』巻26に「王者易姓、受命、必慎始初、改正朔、易服色、推本天元、順承厥意」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年近江(おうみ)の俘囚(ふしゅう)ら上京して愁訴(しゅうそ) 5年『池亭記(ちていき)』成る

天治(てんじ)
〔相当西暦年〕1124~1126(平安時代)
〔天皇〕崇徳(すとく)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕保安(ほうあん)5年(1124)4月3日天治と改元、天治3年(1126)1月22日大治(だいじ)と改む
〔出典〕『易緯(えきい)』の「帝者徳配天地、天子者継天治物」によるという
〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年良忍融通念仏(ゆうずうねんぶつ)を始める、中宮璋子(しょうし)に待賢門院号宣下 2年京都大火

天授(てんじゅ)
〔相当西暦年〕1375~1381(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】長慶(ちょうけい)
〔改元理由〕山崩れ、地妖(ちよう)による
〔改元年月日〕文中(ぶんちゅう)4年(1375)5月27日天授と改元、天授7年(1381)2月10日弘和(こうわ)と改む
〔出典〕不明、『史記』巻92淮陰侯列伝に「且陛下所謂天授、非人力也」とある
〔勘申者〕藤原長親(権大納言(ごんだいなごん))
〔当代の主要事件〕元年幕軍が紀伊国の諸城を破る 5年管領(かんれい)細川頼之(よりゆき)失脚、斯波義将(しばよしまさ)管領となる 6年高麗(こうらい)の将軍李成桂(りせいけい)倭寇(わこう)を撃退する

天正(てんしょう)
〔相当西暦年〕1573~1592(安土桃山時代)
〔天皇〕正親町(おおぎまち)、後陽成(ごようぜい)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕元亀(げんき)4年(1573)7月28日天正と改元、天正20年(1592)12月8日文禄(ぶんろく)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻2藉田賦の「君以下為基、民以食為天、正其末者端其本、善其後者慎其先」、『老子』第45章の「清静者為天下正」による
〔勘申者〕菅原長雅(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕4年織田信長安土(あづち)城を築く 10年本能寺の変、信長・信忠(のぶただ)自殺、太閤(たいこう)検地始まる 13年豊臣(とよとみ)秀吉関白となる 16年刀狩令 19年朝鮮征討発令 20年文禄(ぶんろく)の役

天承(てんしょう/てんじょう)
〔相当西暦年〕1131~1132(平安時代)
〔天皇〕崇徳(すとく)
〔改元理由〕炎旱(えんかん)、天変による
〔改元年月日〕大治(だいじ)6年(1131)1月29日天承と改元、天承2年(1132)8月11日長承(ちょうしょう)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻81匡衡(きょうこう)伝の「聖王之自為、動静周旋、奉天承親、臨朝享臣、物有節文、以章人倫」による
〔勘申者〕藤原敦光(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年平忠盛(ただもり)得長寿院(千体観音堂)を造進、内昇殿を許される

天長(てんちょう)
〔相当西暦年〕824~834(平安時代)
〔天皇〕淳和(じゅんな)、仁明(にんみょう)
〔改元理由〕淳和天皇の即位による
〔改元年月日〕弘仁(こうにん)15年(824)1月5日天長と改元、天長11年(834)1月3日承和(じょうわ)と改む
〔出典〕『老子』第7章の「天長地久、天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生」による
〔勘申者〕都腹赤(文章博士(もんじょうはかせ))、南淵弘貞(右近衛権少将(うこのえごんのしょうしょう))、菅原清公(弾正大弼(だんじょうだいひつ))
〔当代の主要事件〕元年勘解由使(かげゆし)を常設とする 3年上総(かずさ)・常陸(ひたち)・上野(こうずけ)を親王任国とする 4年『経国(けいこく)集』成る 5年綜芸種智(しゅげいしゅち)院創立 8年『秘府略』成る 10年『令義解(りょうのぎげ)』成る

天徳(てんとく)
〔相当西暦年〕957~961(平安時代)
〔天皇〕村上(むらかみ)
〔改元理由〕水旱(すいかん)による
〔改元年月日〕天暦(てんりゃく)11年(957)10月27日天徳と改元、天徳5年(961)2月16日応和(おうわ)と改む
〔出典〕『易経』乾卦(けんか)の「飛龍在天、乃位乎天徳」、『礼記(らいき)』中庸の「苟不固聡明聖知、達天徳者、其孰能知之」による
〔勘申者〕秦具瞻
〔当代の主要事件〕元年菅原文時(すがわらのふみとき)、意見封事三か条を上申 2年乾元(けんげん)大宝鋳造 4年内裏(だいり)焼亡

天和(てんな/てんわ)
〔相当西暦年〕1681~1684(江戸時代)
〔天皇〕霊元(れいげん)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕延宝(えんぽう)9年(1681)9月29日天和と改元、天和4年(1684)2月21日貞享(じょうきょう)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻7桓帝紀の「天人協和、万国咸寧」による
〔勘申者〕菅原在庸(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年各種商品を買占め貯蔵して物価騰貴させることを禁ず、忠孝を奨励、江戸大火 3年長崎輸出入禁制品を定める、庶民に衣服制限令を出す

天仁(てんにん)
〔相当西暦年〕1108~1110(平安時代)
〔天皇〕鳥羽(とば)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕嘉承(かしょう)3年(1108)8月3日天仁と改元、天仁3年(1110)7月13日天永(てんえい)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻6の「統天仁風遐揚」による
〔勘申者〕大江匡房(大宰権帥(だざいのごんのそち))、菅原在良(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年新立荘園(しょうえん)停止 2年源為義(ためよし)に命じて源義綱(よしつな)を追捕(ついぶ)

天平(てんぴょう/てんびょう)
〔相当西暦年〕729~749(奈良時代)
〔天皇〕聖武(しょうむ)
〔改元理由〕左京職が背に「天王貴平知百年」と文のある亀を献上した瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕神亀(じんき)6年(729)8月5日天平と改元、天平21年(749)4月14日天平感宝(かんぽう)と改む
〔出典〕不明、『易経』篆(たん)下伝に「聖人感人心而天下和平」、『礼記(らいき)』大学に「国治而后天下平」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕6年官稲の出挙(すいこ)を定める 7年吉備真備(きびのまきび)、玄昉(げんぼう)ら帰朝 12年藤原広嗣(ひろつぐ)の乱 13年国分寺建立の詔 15年墾田永年私財法を公布 19年東大寺大仏鋳造始まる

天平感宝(てんぴょうかんぽう/てんびょうかんぽう)
〔相当西暦年〕749(奈良時代)
〔天皇〕聖武(しょうむ)、孝謙(こうけん)
〔改元理由〕陸奥(むつ)国から黄金を献上された瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕天平21年(749)4月14日天平感宝と改元、同年7月2日天平勝宝(しょうほう)と改む
〔出典〕不明
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年大安寺以下の諸大寺に墾田を施入

天平勝宝(てんぴょうしょうほう/てんびょうしょうほう)
〔相当西暦年〕749~757(奈良時代)
〔天皇〕孝謙(こうけん)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕天平感宝(かんぽう)元年(749)7月2日天平勝宝と改元、天平勝宝9年(757)8月18日天平宝字(ほうじ)と改む
〔出典〕不明
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年『懐風藻(かいふうそう)』成る 4年東大寺大仏開眼(かいげん) 6年東大寺戒壇院創立 9年養老律令(ようろうりつりょう)施行、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の変

天平神護(てんぴょうじんご/てんびょうじんご)
〔相当西暦年〕765~767(奈良時代)
〔天皇〕称徳(しょうとく)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕天平宝字(ほうじ)9年(765)1月7日天平神護と改元、天平神護3年(767)8月16日神護景雲(けいうん)と改む
〔出典〕不明
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年新墾田私有の禁、道鏡を太政(だいじょう)大臣禅師とする 2年道鏡を法王とする

天平宝字(てんぴょうほうじ/てんびょうほうじ)
〔相当西暦年〕757~765(奈良時代)
〔天皇〕孝謙(こうけん)、淳仁(じゅんにん)、称徳(しょうとく)
〔改元理由〕宮中と駿河(するが)国で瑞字(ずいじ)を生じた祥瑞(しょうずい)による
〔改元年月日〕天平勝宝(しょうほう)9年(757)8月18日天平宝字と改元、天平宝字9年(765)1月7日天平神護(じんご)と改む
〔出典〕不明
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年藤原仲麻呂(なかまろ)に恵美押勝(えみのおしかつ)の姓名を与え、官名を唐風に改める 3年唐招提(とうしょうだい)寺建立 8年藤原仲麻呂の乱、道鏡を大臣禅師とする

天福(てんぷく/てんふく)
〔相当西暦年〕1233~1234(鎌倉時代)
〔天皇〕四条(しじょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕貞永(じょうえい)2年(1233)4月15日天福と改元、天福2年(1234)11月5日文暦(ぶんりゃく)と改む
〔出典〕『書経』の「政善天福之」によるという
〔勘申者〕菅原為長(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年宣旨(せんじ)で専修(せんじゅ)念仏宗を禁圧

天文(てんぶん/てんもん)
〔相当西暦年〕1532~1555(室町時代)
〔天皇〕後奈良(ごなら)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕享禄(きょうろく)5年(1532)7月29日天文と改元、天文24年(1555)10月23日弘治(こうじ)と改む
〔出典〕『書経』舜(しゅん)典の「以斉七政」の注「舜察天文、斉七政」による
〔勘申者〕菅原長雅(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕5年伊達稙宗(だてたねむね)「塵芥(じんかい)集」を制定、天文法華(ほっけ)の乱 12年鉄砲伝来 18年ザビエル鹿児島にキリスト教を伝える 22年今川義元(よしもと)「仮名(かな)目録追加」を制定 24年織田信長清洲(きよす)城に進出

天保(てんぽう/てんほう)
〔相当西暦年〕1830~1844(江戸時代)
〔天皇〕仁孝(にんこう)
〔改元理由〕地震など災異による
〔改元年月日〕文政(ぶんせい)13年(1830)12月10日天保と改元、天保15年(1844)12月2日弘化(こうか)と改む
〔出典〕『書経』仲虺之誥(ちゅうきのこう)の「欽崇天道、永保天命」による
〔勘申者〕菅原為顕(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕4年飢饉(ききん)激化し各地に打毀(うちこわし)起こる 8年大塩平八郎の乱、モリソン号事件、奥羽地方飢饉 10年蛮社の獄 12年幕府の天保の改革始まる 14年人返し令

天明(てんめい)
〔相当西暦年〕1781~1789(江戸時代)
〔天皇〕光格(こうかく)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕安永(あんえい)10年(1781)4月2日天明と改元、天明9年(1789)1月25日寛政(かんせい)と改む
〔出典〕『書経』太甲上の「先王顧諟天明命」による
〔勘申者〕菅原為俊(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕3年諸国飢饉(ききん)(天明大飢饉、~7年) 7年徳川家斉(いえなり)将軍となる、米価騰貴、大坂で打毀(うちこわし)、近隣諸国騒擾(そうじょう)、江戸打毀、松平定信(さだのぶ)老中となり寛政(かんせい)の改革始まる

天養(てんよう)
〔相当西暦年〕1144~1145(平安時代)
〔天皇〕近衛(このえ)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕康治(こうじ)3年(1144)2月23日天養と改元、天養2年(1145)7月22日久安(きゅうあん)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻60郎顗(ろうがい)伝の「此天之意也、人之慶也、仁之本也、倹之要也、焉有応天養人、為仁為倹、而不降福者乎」による
〔勘申者〕藤原茂明(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年東大寺と伊賀国衙(こくが)との黒田荘(しょう)係争につき院庁下文が出され東大寺敗北 2年藤原忠実(ただざね)秘記を子頼長(よりなが)に譲る

天暦(てんりゃく)
〔相当西暦年〕947~957(平安時代)
〔天皇〕村上(むらかみ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕天慶(てんぎょう)10年(947)4月22日天暦と改元、天暦11年(957)10月27日天徳(てんとく)と改む
〔出典〕不明、『論語』堯曰二十に「天之暦数、在爾躬」、『史記』『魏書(ぎしょ)』にも「天暦」とある
〔勘申者〕大江朝綱(左中弁(さちゅうべん))
〔当代の主要事件〕元年倹約令、物価引下げ令、北野社創建 5年撰和歌所を置き『後撰和歌集』をつくる 8年私兵を禁止

天禄(てんろく)
〔相当西暦年〕970~973(平安時代)
〔天皇〕円融(えんゆう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕安和(あんな)3年(970)3月25日天禄と改元、天禄4年(973)12月20日天延(てんえん)と改む
〔出典〕『書経』大禹謨(たいうぼ)に「慎乃有位、敬修其可願、四海困窮天禄永終」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年祇園会(ぎおんえ)定例となる 3年藤原兼通(かねみち)関白内大臣となる 4年大和(やまと)薬師寺焼亡

徳治(とくじ)
〔相当西暦年〕1306~1308(鎌倉時代)
〔天皇〕後二条(ごにじょう)、花園(はなぞの)
〔改元理由〕天変による
〔改元年月日〕嘉元(かげん)4年(1306)12月14日徳治と改元、徳治3年(1308)10月9日延慶(えんけい)と改む
〔出典〕『書経』皋陶謨(こうようぼ)の注疏(ちゅうそ)の「俊徳治能之士並在官」、『左伝』巻7僖公(きこう)33年の「能敬必有徳、徳以治民」による
〔勘申者〕菅原在嗣(前参議)、藤原淳範(前文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年将軍久明(ひさあき)親王を廃す、守邦(もりくに)親王将軍となる

〔な行〕
仁安(にんあん)
〔相当西暦年〕1166~1169(平安時代)
〔天皇〕六条(ろくじょう)、高倉(たかくら)
〔改元理由〕六条天皇の即位による
〔改元年月日〕永万(えいまん)2年(1166)8月27日仁安と改元、仁安4年(1169)4月8日嘉応(かおう)と改む
〔出典〕『毛詩(もうし)正義』の「行寛仁安静之政、以定天下、得至於太平」による
〔勘申者〕藤原成光(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年平清盛(きよもり)内大臣となる、源頼政(よりまさ)に内昇殿を許す 2年清盛太政(だいじょう)大臣となる 3年清盛出家、栄西(えいさい)・重源(ちょうげん)宋(そう)から帰国

仁治(にんじ)
〔相当西暦年〕1240~1243(鎌倉時代)
〔天皇〕四条(しじょう)、後嵯峨(ごさが)
〔改元理由〕彗星(すいせい)、地震、炎旱(えんかん)による
〔改元年月日〕延応(えんおう)2年(1240)7月16日仁治と改元、仁治4年(1243)2月26日寛元(かんげん)と改む
〔出典〕『尚書正義』の「人君以仁治天下」によるという。『新唐書(とうじょ)』巻56刑法志に「太宗以寛仁治天下」とある
〔勘申者〕藤原経範(文章博士(もんじょうはかせ))、菅原為長(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年鎌倉大地震、幕府武蔵野(むさしの)の開墾を決定 3年北条経時(つねとき)執権となる

仁寿(にんじゅ)
〔相当西暦年〕851~854(平安時代)
〔天皇〕文徳(もんとく)
〔改元理由〕即位、白亀、甘露(かんろ)の瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕嘉祥(かしょう)4年(851)4月28日仁寿と改元、仁寿4年(854)11月30日斉衡(さいこう)と改む
〔出典〕不明、『孫民瑞応図』および『論語』雍也(ようや)第6に「子曰、知者楽水、仁者楽山、知者動、仁者静、知者楽、仁者寿」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年円珍入唐(にっとう)

仁和(にんな/にんわ)
〔相当西暦年〕885~889(平安時代)
〔天皇〕光孝(こうこう)、宇多(うだ)
〔改元理由〕光孝天皇の即位による
〔改元年月日〕元慶(がんぎょう)9年(885)2月21日仁和と改元、仁和5年(889)4月27日寛平(かんぴょう)と改む
〔出典〕不明、『礼記(らいき)』儒行に「歌楽者仁之和也」、『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』帝王部に「聖徳宣仁以和衆」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年王臣家使らの唐物競買を禁ず 3年阿衡(あこう)事件起こる 4年五位蔵人(くろうど)を新設

仁平(にんぺい/にんぴょう)
〔相当西暦年〕1151~1154(平安時代)
〔天皇〕近衛(このえ)
〔改元理由〕風水害による
〔改元年月日〕久安(きゅうあん)7年(1151)1月26日仁平と改元、仁平4年(1154)10月28日久寿(きゅうじゅ)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻61孔奮(こうふん)伝の「奮既立節、政貴仁平」による
〔勘申者〕藤原永範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年平清盛(きよもり)、厳島(いつくしま)神社を修造 3年藤原頼長(よりなが)院別当(いんのべっとう)となる

〔は行〕
白雉(はくち)
〔相当西暦年〕650~654(飛鳥(あすか)時代)
〔天皇〕孝徳(こうとく)
〔改元理由〕穴戸(あなと)国の国司が白雉を献上した瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕大化(たいか)6年(650)2月15日白雉と改元、白雉5年(654)10月孝徳天皇崩御後使用されなくなった
〔出典〕不明、『漢書(かんじょ)』巻12平帝紀に「元始元年正月越裳氏、重訳献白雉」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年班田終わる、戸籍作成 4年遣唐使吉士長丹(きしのながに)ら派遣、天皇と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の対立深まる 5年遣唐使高向玄理(たかむこのくろまろ)ら派遣

文安(ぶんあん)
〔相当西暦年〕1444~1449(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕嘉吉(かきつ)4年(1444)2月5日文安と改元、文安6年(1449)7月28日宝徳(ほうとく)と改む
〔出典〕『書経』堯典の「放勲欽明文思安安」、『晋書(しんじょ)』巻58周札(しゅうさつ)伝の「尊文安漢社稷」による
〔勘申者〕藤原兼郷(権中納言(ごんちゅうなごん))、菅原在直(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕2年細川勝元(かつもと)管領(かんれい)となる、上杉憲忠(のりただ)関東執事となる 4年山城(やましろ)西岡に徳政一揆(いっき)起こる 5年憲忠関東管領となる 6年足利義政(あしかがよしまさ)将軍となる

文永(ぶんえい)
〔相当西暦年〕1264~1275(鎌倉時代)
〔天皇〕亀山(かめやま)、後宇多(ごうだ)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕弘長(こうちょう)4年(1264)2月28日文永と改元、文永12年(1275)4月25日建治(けんじ)と改む
〔出典〕不明、『後漢書(ごかんじょ)』巻92荀悦(じゅんえつ)伝に「漢四百有六載、揆乱反正、統武興文、永惟祖宗之洪業、思光啓乎万嗣」とある
〔勘申者〕菅原在章(式部権大輔(ごんのたいふ))
〔当代の主要事件〕元年北条政村(まさむら)執権となる 3年将軍宗尊(むねたか)親王を廃す、惟康(これやす)親王将軍となる 5年北条時宗(ときむね)執権となる 9年諸国に大田文(おおたぶみ)を提出させる 11年蒙古(もうこ)襲来(文永の役)

文応(ぶんおう)
〔相当西暦年〕1260~1261(鎌倉時代)
〔天皇〕亀山(かめやま)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕正元(しょうげん)2年(1260)4月13日文応と改元、文応2年(1261)2月20日弘長(こうちょう)と改む
〔出典〕『晋書(しんじょ)』巻45劉毅(りゅうき)伝の「大晋之行、戢武興文之応也」による
〔勘申者〕菅原在章(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年『立正(りっしょう)安国論』成る

文化(ぶんか)
〔相当西暦年〕1804~1818(江戸時代)
〔天皇〕光格(こうかく)、仁孝(にんこう)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕享和(きょうわ)4年(1804)2月11日文化と改元、文化15年(1818)4月22日文政(ぶんせい)と改む
〔出典〕『易経』賁卦(ひか)、彖(たん)上伝の「観乎天文以察時変、観乎人文以化成天下」、『後漢書(ごかんじょ)』巻92荀悦(じゅんえつ)伝の「宣文教以章其化、立武備、以秉其威」による
〔勘申者〕菅原為徳(参議)
〔当代の主要事件〕元年津軽(弘前(ひろさき))・南部(盛岡)両藩に蝦夷(えぞ)地警備を命ず 2年関東取締出役を設置 5年フェートン号事件起こる 14年イギリス船浦賀に来航

文亀(ぶんき)
〔相当西暦年〕1501~1504(室町時代)
〔天皇〕後柏原(ごかしわばら)
〔改元理由〕即位、辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕明応(めいおう)10年(1501)2月29日文亀と改元、文亀4年(1504)2月30日永正(えいしょう)と改む
〔出典〕『爾雅(じが)』巻10釈魚の「一曰神亀、二曰霊亀、三曰摂亀、四曰宝亀、五曰文亀」による
〔勘申者〕菅原和長(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年細川政元(まさもと)が日蓮(にちれん)・浄土二宗の宗論を開く 3年幕府通信符を朝鮮に求める

文久(ぶんきゅう)
〔相当西暦年〕1861~1864(江戸時代)
〔天皇〕孝明(こうめい)
〔改元理由〕辛酉(しんゆう)革命による
〔改元年月日〕万延(まんえん)2年(1861)2月19日文久と改元、文久4年(1864)2月20日元治(げんじ)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻79謝該伝の「故能文武並用、成長久之計」による
〔勘申者〕菅原為定(前権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年対馬(つしま)事件 2年坂下門外の変、生麦(なまむぎ)事件 3年長州藩下関(しものせき)海峡通航の米船砲撃、長州藩奇兵隊を編成、薩英(さつえい)戦争、天誅(てんちゅう)組挙兵

文治(ぶんじ)
〔相当西暦年〕1185~1190(鎌倉時代)
〔天皇〕後鳥羽(ごとば)
〔改元理由〕火災、地震、兵革による
〔改元年月日〕元暦(げんりゃく)2年(1185)8月14日文治と改元、文治6年(1190)4月11日建久(けんきゅう)と改む
〔出典〕『礼記(らいき)』祭法の「湯以寛治民、而除其虐、文王以文治」による
〔勘申者〕藤原兼光(参議・左大弁(さだいべん))
〔当代の主要事件〕元年守護・地頭(じとう)の設置、兵粮米(ひょうろうまい)の徴収を勅許 3年栄西(えいさい)入宋(にっそう)、『千載(せんざい)和歌集』成る 5年源頼朝(よりとも)奥州を平定

文正(ぶんしょう)
〔相当西暦年〕1466~1467(室町時代)
〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕寛正(かんしょう)7年(1466)2月28日文正と改元、文正2年(1467)3月5日応仁(おうにん)と改む
〔出典〕『荀子(じゅんし)』巻5王制の「積文学正身行」による
〔勘申者〕藤原綱光(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕元年山城(やましろ)徳政一揆(いっき)、上杉顕定(あきさだ)関東執事となる、斯波義廉(しばよしかど)が義敏(よしとし)と家督を争う 2年斯波義廉管領(かんれい)となる、応仁の乱起こる

文政(ぶんせい)
〔相当西暦年〕1818~1830(江戸時代)
〔天皇〕仁孝(にんこう)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕文化(ぶんか)15年(1818)4月22日文政と改元、文政13年(1830)12月10日天保(てんぽう)と改む
〔出典〕『書経』舜(しゅん)典の注「舜察天文、斉七政」による
〔勘申者〕菅原長親(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕4年伊能忠敬(ただたか)「大日本沿海輿地(よち)全図」完成 8年異国船打払令を指令 10年文政の改革、薩摩(さつま)藩財政改革始まる 11年シーボルト事件 13年水戸藩藩政改革に着手

文中(ぶんちゅう)
〔相当西暦年〕1372~1375(南北朝時代)
〔天皇〕【南朝】長慶(ちょうけい)
〔改元理由〕不明
〔改元年月日〕建徳(けんとく)3年(1372)4月(日不明)文中と改元、文中4年(1375)5月27日天授(てんじゅ)と改む
〔出典〕不明、『易経』象(しょう)上に「黄裳元吉、文在中也」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年北軍の天野行宮(あんぐう)の攻撃により天皇吉野に移る

文和(ぶんな/ぶんわ)
〔相当西暦年〕1352~1356(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後光厳(ごこうごん)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕観応(かんのう)3年(1352)9月27日文和と改元、文和5年(1356)3月28日延文(えんぶん)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻14順宗紀の「叡哲温文、寛和仁恵」、『三国志』呉志・孫権伝の「文和於内、武信于外」による
〔勘申者〕菅原在淳(式部大輔(たいふ))、菅原在成
〔当代の主要事件〕2年南軍楠木正儀(くすのきまさのり)ら入京 4年南軍一時入京 5年『菟玖波(つくば)集』成る

文保(ぶんぽう/ぶんほう)
〔相当西暦年〕1317~1319(鎌倉時代)
〔天皇〕花園(はなぞの)、後醍醐(ごだいご)
〔改元理由〕地震による
〔改元年月日〕正和(しょうわ)6年(1317)2月3日文保と改元、文保3年(1319)4月28日元応(げんおう)と改む
〔出典〕『梁書(りょうしょ)』の「姫周基文、久保七百」によるという
〔勘申者〕菅原在輔(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年両統迭立(てつりつ)を朝廷に提案(文保の和議)

文明(ぶんめい)
〔相当西暦年〕1469~1487(室町時代)
〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)
〔改元理由〕兵革による
〔改元年月日〕応仁(おうにん)3年(1469)4月28日文明と改元、文明19年(1487)7月20日長享(ちょうきょう)と改む
〔出典〕『易経』同人卦(か)の「文明以健、中正而応、君子正也」による
〔勘申者〕菅原長清(参議・大蔵卿(おおくらきょう))
〔当代の主要事件〕5年足利義尚(あしかがよしひさ)将軍となる 11年蓮如(れんにょ)山科(やましな)本願寺を建立 14年足利義政(よしまさ)銀閣を造営 17年山城国一揆(やましろのくにいっき)起こる

文暦(ぶんりゃく)
〔相当西暦年〕1234~1235(鎌倉時代)
〔天皇〕四条(しじょう)
〔改元理由〕天変、地震による
〔改元年月日〕天福(てんぷく)2年(1234)11月5日文暦と改元、文暦2年(1235)9月19日嘉禎(かてい)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10三月三日曲水詩序の「皇上以叡文承暦」による。また『旧唐書(くとうじょ)』の「掌天文暦数」によるともいう
〔勘申者〕菅原淳高(刑部卿(ぎょうぶきょう))、藤原家光(権中納言(ごんちゅうなごん))、菅原為長(大蔵卿(おおくらきょう)・式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年『新勅撰(しんちょくせん)和歌集』成る

文禄(ぶんろく)
〔相当西暦年〕1592~1596(安土桃山時代)
〔天皇〕後陽成(ごようぜい)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕天正(てんしょう)20年(1592)12月8日文禄と改元、文禄5年(1596)10月27日慶長(けいちょう)と改む
〔出典〕『杜氏(とし)通典』職官・禄秩(ろくちつ)の注「凡京文武官、毎歳給禄」による
〔勘申者〕菅原盛長(権中納言(ごんちゅうなごん))
〔当代の主要事件〕2年豊臣秀頼(とよとみひでより)生まる、小笠原(おがさわら)諸島発見 3年秀吉、キリスト教徒を長崎に処刑、文禄検地条目 5年秀吉明(みん)使の表文の無礼を憤り再征を議す

平治(へいじ)
〔相当西暦年〕1159~1160(平安時代)
〔天皇〕二条(にじょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕保元(ほうげん)4年(1159)4月20日平治と改元、平治2年(1160)1月10日永暦(えいりゃく)と改む
〔出典〕『史記』巻2夏本紀の「天下於是大平治」による
〔勘申者〕藤原俊経(治部権少輔(じぶごんのしょう)・文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年平治の乱起こる

平成(へいせい)
〔相当西暦年〕1989~2019(平成時代)
〔天皇〕明仁(あきひと)
〔改元理由〕昭和天皇の崩御、明仁親王の践祚(せんそ)による
〔改元年月日〕昭和64年(1989)1月7日改元を公布、翌8日施行
〔出典〕『史記』五帝本紀の「内平外成」、『書経』大禹謨(たいうぼ)の「地平天成」による
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年消費税導入 7年阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件 10年長野オリンピック 23年東日本大震災

保安(ほうあん)
〔相当西暦年〕1120~1124(平安時代)
〔天皇〕鳥羽(とば)、崇徳(すとく)
〔改元理由〕天変、厄運による
〔改元年月日〕元永(げんえい)3年(1120)4月10日保安と改元、保安5年(1124)4月3日天治(てんじ)と改む
〔出典〕不明、『旧唐書(くとうじょ)』巻30音楽志に「含育九区保安万国」とある
〔勘申者〕菅原在良(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年興福寺僧徒強訴(ごうそ) 2年藤原忠通(ただみち)関白となる 4年藤原忠通摂政(せっしょう)、平忠盛(ただもり)ら延暦(えんりゃく)寺僧徒の入京を退ける

宝永(ほうえい)
〔相当西暦年〕1704~1711(江戸時代)
〔天皇〕東山(ひがしやま)、中御門(なかみかど)
〔改元理由〕関東の大地震による
〔改元年月日〕元禄(げんろく)17年(1704)3月13日宝永と改元、宝永8年(1711)4月25日正徳(しょうとく)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻30音楽志の「宝祚惟永、暉光日新」による
〔勘申者〕菅原為範(侍従(じじゅう))
〔当代の主要事件〕元年時事謡曲狂歌禁止 4年富士山噴火 6年生類憐(しょうるいあわれ)みの令廃止、徳川家宣(いえのぶ)将軍となる、新井白石(あらいはくせき)登用

保延(ほうえん)
〔相当西暦年〕1135~1141(平安時代)
〔天皇〕崇徳(すとく)
〔改元理由〕飢饉(ききん)、疫疾、洪水による
〔改元年月日〕長承(ちょうしょう)4年(1135)4月27日保延と改元、保延7年(1141)7月10日永治(えいじ)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻3魯霊光殿賦の「永安寧以祉福、長与大漢而久存、実至尊之所御、保延寿而宜子孫」による
〔勘申者〕藤原顕業(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年海賊追討使平忠盛(ただもり)が首領を捕らえる 2年初めて春日(かすが)若宮祭行われる 5年興福寺で僧徒と別当争う

宝亀(ほうき)
〔相当西暦年〕770~780(奈良時代)
〔天皇〕光仁(こうにん)
〔改元理由〕肥後国より白亀が献上された瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕神護景雲(じんごけいうん)4年(770)10月1日宝亀と改元、宝亀12年(781)1月1日天応(てんおう)と改む
〔出典〕不明、『礼記(らいき)』楽記に「青黒緑者、天子之宝亀也」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕3年皇后井上(いのえ)内親王と皇太子他戸(おさべ)親王を廃す 5年蝦夷(えみし)征討 7年蝦夷反乱 11年伊治呰麻呂(いじのあざまろ)の乱

保元(ほうげん)
〔相当西暦年〕1156~1159(平安時代)
〔天皇〕後白河(ごしらかわ)、二条(にじょう)
〔改元理由〕後白河天皇の即位による
〔改元年月日〕久寿(きゅうじゅ)3年(1156)4月27日保元と改元、保元4年(1159)4月20日平治(へいじ)と改む
〔出典〕『顔氏(がんし)家訓』文章篇の「以保元吉也」による
〔勘申者〕藤原永範(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕元年保元の乱、記録所を復す 3年後白河院政始まる

宝治(ほうじ)
〔相当西暦年〕1247~1249(鎌倉時代)
〔天皇〕後深草(ごふかくさ)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕寛元(かんげん)5年(1247)2月28日宝治と改元、宝治3年(1249)3月18日建長(けんちょう)と改む
〔出典〕『春秋繁露』通国身の「気之清者為精、人之清者為賢、治身者以積精為宝、治国者以積賢為道」による
〔勘申者〕藤原経範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年宝治合戦、北条重時(しげとき)連署となる 2年幕府訴訟法を整備

宝徳(ほうとく)
〔相当西暦年〕1449~1452(室町時代)
〔天皇〕後花園(ごはなぞの)
〔改元理由〕水害、地震、疾疫、飢饉(ききん)による
〔改元年月日〕文安(ぶんあん)6年(1449)7月28日宝徳と改元、宝徳4年(1452)7月25日享徳(きょうとく)と改む
〔出典〕『旧唐書(くとうじょ)』巻23礼楽の「朕宝三徳、曰慈倹謙」による
〔勘申者〕菅原為賢(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年畠山持国(はたけやまもちくに)管領(かんれい)となる 2年細川勝元(かつもと)竜安(りょうあん)寺を創建 3年奈良に徳政一揆(いっき)起こる

宝暦(ほうれき/ほうりゃく)
〔相当西暦年〕1751~1764(江戸時代)
〔天皇〕桃園(ももぞの)、後桜町(ごさくらまち)
〔改元理由〕変異による
〔改元年月日〕寛延(かんえん)4年(1751)10月27日宝暦と改元、宝暦14年(1764)6月2日明和(めいわ)と改む
〔出典〕『貞観(じょうがん)政要』巻5論誠信の「及恭承宝暦、夤奉帝図、垂拱無為、氛埃靖息」による
〔勘申者〕菅原為範(式部大輔(たいふ))
〔当代の主要事件〕5年幕府農民一揆(いっき)鎮圧令を出す、奥羽大飢饉(ききん) 6年若年寄大岡忠光を側用人(そばようにん)に任命 8年宝暦事件起こる 10年徳川家治(いえはる)将軍となる

〔ま行〕
万延(まんえん)
〔相当西暦年〕1860~1861(江戸時代)
〔天皇〕孝明(こうめい)
〔改元理由〕江戸城火災、外患、疫疾による
〔改元年月日〕安政(あんせい)7年(1860)3月18日万延と改元、万延2年(1861)2月19日文久(ぶんきゅう)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻90馬融伝の「豊千億之子孫、歴万載而永延」による
〔勘申者〕菅原為定
〔当代の主要事件〕元年アメリカ人ヒュースケン三田(みた)で斬殺される、プロシアとの通商条約調印

万治(まんじ)
〔相当西暦年〕1658~1661(江戸時代)
〔天皇〕後西(ごさい)
〔改元理由〕江戸大火による
〔改元年月日〕明暦(めいれき)4年(1658)7月23日万治と改元、万治4年(1661)4月25日寛文(かんぶん)と改む
〔出典〕『史記』巻2夏本紀の「衆民乃定、万国為治」による
〔勘申者〕菅原豊長(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年大村純長(すみなが)キリスト教徒603名を処刑、江戸に定火消(じょうびけし)役設置 2年修学院離宮完成

万寿(まんじゅ)
〔相当西暦年〕1024~1028(平安時代)
〔天皇〕後一条(ごいちじょう)
〔改元理由〕甲子(かっし)革令による
〔改元年月日〕治安(じあん)4年(1024)7月13日万寿と改元、万寿5年(1028)7月25日長元(ちょうげん)と改む
〔出典〕『詩経』小雅・南山有台の「楽只君子、邦家之光、楽只君子、万寿無疆」による
〔勘申者〕三善為政(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕3年太皇太后藤原彰子(しょうし)出家し上東門院となる 5年平忠常(ただつね)の乱起こる

明応(めいおう)
〔相当西暦年〕1492~1501(室町時代)
〔天皇〕後土御門(ごつちみかど)、後柏原(ごかしわばら)
〔改元理由〕疾疫の流行による
〔改元年月日〕延徳(えんとく)4年(1492)7月19日明応と改元、明応10年(1501)2月29日文亀(ぶんき)と改む
〔出典〕『文選(もんぜん)』巻10「徳行修明、皆応受多福、保中又子孫」、『易経』大有卦(だいゆうか)の「其徳剛健而文明、応乎天而時行」による
〔勘申者〕菅原在数(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年山城国一揆(やましろのくにいっき)滅びる 4年『新撰菟玖波(しんせんつくば)集』成る

明治(めいじ)
〔相当西暦年〕1868~1912(明治時代)
〔天皇〕明治
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕慶応(けいおう)4年(1868)9月8日明治と改元、明治45年(1912)7月30日大正(たいしょう)と改む
〔出典〕『易経』説卦(せっか)の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」、『孔子家語(こうしけご)』巻5帝徳の「長聡明、治五気、設五量、撫万民、度四方」による
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年戊辰(ぼしん)戦争終結、版籍奉還 4年廃藩置県 22年大日本帝国憲法公布 23年第一回衆議院総選挙、第一帝国議会 27年日清(にっしん)戦争 37年日露戦争

明徳(めいとく)
〔相当西暦年〕1390~1394(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】後小松(ごこまつ)
〔改元理由〕天変、兵革による
〔改元年月日〕康応(こうおう)2年(1390)3月26日明徳と改元、明徳5年(1394)7月5日応永(おうえい)と改む
〔出典〕『礼記(らいき)』大学の「大学之道、在明明徳、在親民」による
〔勘申者〕藤原資康(前権大納言(ごんだいなごん))
〔当代の主要事件〕2年細川頼元(よりもと)管領(かんれい)となる、明徳の乱 3年南北朝合体 4年斯波義将(しばよしまさ)管領となる、幕府土倉(どそう)・酒屋役を制定

明暦(めいれき/めいりゃく)
〔相当西暦年〕1655~1658(江戸時代)
〔天皇〕後西(ごさい)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕承応(じょうおう)4年(1655)4月13日明暦と改元、明暦4年(1658)7月23日万治(まんじ)と改む
〔出典〕『漢書(かんじょ)』巻21律歴志の「箕子言、大法九章、而五紀明暦法」、「黄帝造歴、歴與暦同作」による
〔勘申者〕菅原為庸(大学頭(かみ)・式部権大輔(ごんのたいふ))
〔当代の主要事件〕元年糸割符(いとわっぷ)を廃止し相対(あいたい)貿易とする 3年江戸大火(振袖火事)、米価騰貴を禁ず

明和(めいわ)
〔相当西暦年〕1764~1772(江戸時代)
〔天皇〕後桜町(ごさくらまち)、後桃園(ごももぞの)
〔改元理由〕後桜町天皇の即位による
〔改元年月日〕宝暦(ほうれき)14年(1764)6月2日明和と改元、明和9年(1772)11月16日安永(あんえい)と改む
〔出典〕『書経』堯典の「百姓昭明、協和万邦」、『史記』巻1五帝本紀の「百姓昭明、合和万国」による
〔勘申者〕菅原在家(右大弁)
〔当代の主要事件〕4年田沼意次(おきつぐ)側用人(そばようにん)となる(田沼時代)、明和事件処断 8年前野良沢(りょうたく)ら死刑囚解剖、お陰参り諸国に流行

〔や・ら・わ行〕
養老(ようろう)
〔相当西暦年〕717~724(奈良時代)
〔天皇〕元正(げんしょう)
〔改元理由〕美濃(みの)国の美泉の瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕霊亀(れいき)3年(717)11月17日養老と改元、養老8年(724)2月4日神亀(じんき)と改む
〔出典〕不明、『礼記(らいき)』王制に「有虞氏皇而祭、深衣而養老」、同文王世子に「凡大合楽必遂養老」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕2年養老律令(りつりょう)の撰定(せんてい)始まる 4年隼人(はやと)反乱、行基(ぎょうき)の活動を禁圧する、『日本書紀』成る 6年良田百万町歩開墾を計画 7年三世一身法を制定

養和(ようわ)
〔相当西暦年〕1181~1182(平安時代)
〔天皇〕安徳(あんとく)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕治承(じしょう)5年(1181)7月14日養和と改元、養和2年(1182)5月27日寿永(じゅえい)と改む
〔出典〕『後漢書(ごかんじょ)』巻83逸民伝・台佟(たいとう)の「幸得保性命、存神養和」による
〔勘申者〕藤原敦周(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕元年諸国大飢饉(ききん) 2年平氏院宣(いんぜん)により諸国荘園(しょうえん)から兵粮米(ひょうろうまい)徴収

暦応(りゃくおう)
〔相当西暦年〕1338~1342(南北朝時代)
〔天皇〕【北朝】光明(こうみょう)
〔改元理由〕即位による
〔改元年月日〕建武(けんむ)5年(1338)8月28日暦応と改元、暦応5年(1342)4月27日康永(こうえい)と改む
〔出典〕『帝王代記』の「堯時有草、夾階而生、王者以是占暦、応和而生」によるという
〔勘申者〕菅原公時(勘解由(かげゆ)長官)
〔当代の主要事件〕2年天竜寺創建、『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』成る 3年『職原抄』成る 4年天竜寺船を元(げん)に遣わす

暦仁(りゃくにん)
〔相当西暦年〕1238~1239(鎌倉時代)
〔天皇〕四条(しじょう)
〔改元理由〕天変による
〔改元年月日〕嘉禎(かてい)4年(1238)11月23日暦仁と改元、暦仁2年(1239)2月7日延応(えんおう)と改む
〔出典〕『隋書(ずいしょ)』巻15音楽志の「皇明馭暦、仁深海県」による
〔勘申者〕藤原経範(文章博士(もんじょうはかせ))
〔当代の主要事件〕2年幕府白河関(しらかわのせき)以東の銭貨流通を禁ず

霊亀(れいき)
〔相当西暦年〕715~717(奈良時代)
〔天皇〕元正(げんしょう)
〔改元理由〕即位、左京職より瑞亀(ずいき)が献上された瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕和銅(わどう)8年(715)9月2日霊亀と改元、霊亀3年(717)11月17日養老(ようろう)と改む
〔出典〕不明、『易経』頤卦(いか)に「初九舎爾霊亀、観我朶頤」とある
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年郷里制採用 3年遣唐使に阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)・吉備真備(きびのまきび)・玄昉(げんぼう)ら随行

令和(れいわ)
〔相当西暦年〕2019~ (令和時代)
〔天皇〕今上
〔改元理由〕明仁(あきひと)天皇の譲位による
〔改元年月日〕平成31年(2019)4月30日改元を公布、翌5月1日施行
〔出典〕『万葉集』万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文による
〔勘申者〕不明

和銅(わどう)
〔相当西暦年〕708~715(奈良時代)
〔天皇〕元明(げんめい)
〔改元理由〕武蔵(むさし)国より和銅が献上された瑞祥(ずいしょう)による
〔改元年月日〕慶雲(きょううん)5年(708)1月11日和銅と改元、和銅8年(715)9月2日霊亀(れいき)と改む
〔出典〕不明
〔勘申者〕不明
〔当代の主要事件〕元年和同開珎(わどうかいちん)をつくる 3年平城京に遷都 4年豪族の山野占有を禁じ開墾を官許制とする 5年『古事記』成る 6年『風土記(ふどき)』を諸国に撰進(せんしん)させる

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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