朝日日本歴史人物事典 「九条良輔」の解説
九条良輔
生年:文治1(1185)
鎌倉初期の公卿。九条兼実の3男。母は八条院女房三位局(遠江守高階盛章の娘)。八条左大臣と呼ばれた。八条院の養子となり八条院内で育つ。坊門信清の娘と結婚。侍従,右中将,権中納言,権大納言などを経て,承元2(1208)年内大臣,翌年右大臣,建暦1(1211)年左大臣となり,建保5(1217)年従一位に叙せられるが,翌年疱瘡のため死去。兄の良通,良経が早世し,兼実も没したのち,叔父の慈円は良輔に期待するところ大であった。『愚管抄』は良輔の学才が比類なきものであったことを述べ,その死を痛哭している。元久詩歌合や『和漢兼作集』にその詩作がある。穏便な性格の人であったと伝えられる。
(田渕句美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報