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九条良輔 くじょう よしすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

九条良輔 くじょう-よしすけ

1185-1218 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
文治(ぶんじ)元年9月20日生まれ。九条兼実(かねざね)の子。母は八条院三位局(さんみのつぼね)。八条院の養子となる。正治(しょうじ)2年従三位。建暦(けんりゃく)元年左大臣となり,のち従一位までのぼったが,建保(けんぽ)6年11月11日疱瘡(ほうそう)のため死去。34歳。学問に卓越し,はやい死がおしまれた。通称は八条左大臣。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

九条良輔

没年:建保6.11.11(1218.11.30)
生年:文治1(1185)
鎌倉初期の公卿。九条兼実の3男。母は八条院女房三位局(遠江守高階盛章の娘)。八条左大臣と呼ばれた。八条院の養子となり八条院内で育つ。坊門信清の娘と結婚。侍従,右中将,権中納言,権大納言などを経て,承元2(1208)年内大臣,翌年右大臣,建暦1(1211)年左大臣となり,建保5(1217)年従一位に叙せられるが,翌年疱瘡のため死去。兄の良通,良経が早世し,兼実も没したのち,叔父の慈円は良輔に期待するところ大であった。『愚管抄』は良輔の学才が比類なきものであったことを述べ,その死を痛哭している。元久詩歌合や『和漢兼作集』にその詩作がある。穏便な性格の人であったと伝えられる。

(田渕句美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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