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乳井貢 にゅうい みつぎ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

乳井貢 にゅうい-みつぎ

1712-1792 江戸時代中期の武士。
正徳(しょうとく)2年生まれ。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)藩(青森県)藩士。宝暦3年勘定奉行となり,貸借証文の破棄,貯米の実行など財政再建につとめる。和算,儒学,農学など諸学に通じた。寛政4年4月6日死去。81歳。本姓は鈴木。名は建福,建富。通称ははじめ市郎左衛門。著作に「志学幼弁」「初学算法」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

乳井貢

没年:寛政4.4.6(1792.5.26)
生年:正徳2(1712)
江戸中期の津軽藩(青森県)勘定奉行,元司。本名は市郎左衛門建福(一説に建富)。宝暦3(1753)年勘定奉行に就任し,藩の行財政改革を断行。宝暦5年の大飢饉の際は,果断の対応により領内から餓死者を出さなかった。改革当初,目ざましい治績をあげ年貢収納に功あって藩主津軽信寧より「貢」の名を賜う。改革半ばにして標符(藩札の一種)を発行,経済的混乱を誘発し,8年蟄居処分。安永7(1778)年再出仕し改革に挑むが,反対派の策動で失脚。9年知行を召し上げられ,辺境の地川原平に幽閉。幽閉地では水田を開き村人に数学,漢学を教え,慕われた。天明4(1784)年許されて弘前塩分町に閑居し,詩文俳諧を楽しみ,かたわら数学を講じて余生を終えた。『志学幼弁』などの書を著して朱子学を批判し,空理空論を排して社会に有用な実学を重んじた。豊臣秀吉の朝鮮出兵と赤穂四十七士への批判は痛快。<著作>『乳井貢全集』<参考文献>小島康敬「津軽藩士乳井貢の思想」(『北奥地域史の研究』)

(小島康敬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の乳井貢の言及

【弘前藩】より

…信政以後,弘前藩では宝暦,寛政,天保の3改革を実施して藩財政の立直しと,支配機構の強化を図った。宝暦改革では乳井貢(にゆういみつぎ)が登用され,標付の発行や殖産など経済政策に目ざましいものがあったが,乳井の失脚にともなって失敗。寛政改革では,藩士を土着させるなど全国的にも珍しい政策が実施された。…

※「乳井貢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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