朝日日本歴史人物事典 「亀田高綱」の解説
亀田高綱
生年:永禄1(1558)
安土桃山時代の武将。通称は半之丞,権兵衛,大隅守。鉄斎員徳と号す。溝口半左衛門の子。はじめ柴田勝豊に仕えた。のち柴田家を追われ,姓を亀田と改め,浅野長政に仕える。小田原の役,文禄・慶長の役,関ケ原の戦に参陣。慶長6(1601)年浅野家の紀州移封に際し7000石余を与えられ,家老となる。元和1(1615)年大坂夏の陣に功名を挙げる。しかし,寛永1(1624)年論功のことで上田重安と争い浅野家を去った。武功に誇る戦国武将の一徹さに由来するとされる。和泉堺,のち高野山下に隠棲した。「亀田大隅一代働覚」「泉州樫井表合戦次第覚書」を著した。
(平野明夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報