朝日日本歴史人物事典 「上田重安」の解説
上田重安
生年:永禄6(1563)
安土桃山時代の武将。茶人。幼名は亀丸。通称は佐太郎,主水正。宗箇,是斎と号す。上田重元の子。天正13(1585)年豊臣秀吉に仕え,越前国西方内6453石を与えられる。文禄2(1593)年蔵入地代官となる。慶長5(1600)年関ケ原の戦には西軍に属す。戦後,蜂須賀氏,のち浅野氏に庇護される。茶を,千利休,古田織部に学び,小堀遠州から伝書を受けた。その茶の湯は,武将らしい豪放さと漢学の素養に包まれたものと評される。造園にも秀で,徳島城下千秋閣,紀州粉河寺庭園などの造営を行った。<参考文献>加計敏吉「上田宗箇」(『茶道全集』11巻)
(平野明夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報