朝日日本歴史人物事典 「二宮彦可」の解説
二宮彦可
生年:宝暦4(1754)
江戸後期の医者。柔術に由来する吉原杏蔭斎流の正骨術と吉雄流外科の救急法と包帯術を折衷させて日本的な骨関節損傷治療法を体系づけた。諱は献,字は齢文,齢順,号を叟楽,擁鼻。遠江国(静岡県)浜松在叟楽村生まれ。本姓小篠氏,浜田藩医二宮氏を継ぐ。乳母の梅毒に感染し鼻を欠き人造鼻をつけていたので擁鼻と号した。身体障害にもめげず苦学し整骨医として大成する。天明8(1788)年長崎で吉雄耕牛 につき吉雄流外科を学んだ。耕牛の勧奨で吉原元棟(杏蔭斎)から正骨術を学び,その体系化を行い文化5(1808)年江戸で『正骨範』を出版。整骨医のバイブルとしてベストセラーとなった。<参考文献>蒲原宏,中山沃「二宮彦可小伝」(『医譚』15号)
(蒲原宏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報