二島・二島庄(読み)ふたじま・ふたじまのしよう

日本歴史地名大系 「二島・二島庄」の解説

二島・二島庄
ふたじま・ふたじまのしよう

若松区二島・東二島・南二島などを遺称地とし、これらを含む一帯に比定される。康暦二年(一三八〇)二月八日に小竹おだけ安養寺(現廃寺)寄進された梵鐘の追銘(古鐘銘集成)に「山鹿庄散在二島内小岳山安養寺」とみえる。この梵鐘は高麗時代盛期に鋳造された朝鮮鐘で、院主僧鎌秀が寄進。永享二年(一四三〇)一一月麻生家見などが大檀那となり、「二島庄聯芳山総善禅寺」(修多羅にあった総善寺。現廃寺)の梵鐘が鋳造されている(同書)。文安五年(一四四八)八月の麻生弘家知行目録写(麻生文書/筑前麻生文書)には「八十町 東西二嶋庄」とみえ、二島庄は内々の帳面では八〇町で、幕府や西国方(大内氏か)の公役が賦課された場合も山鹿庄内散在として八〇町分を負担することとなっており、庄内には若松塩浜とわき浦などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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